非武装化
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非武装化(英語: Demilitarisation、ひぶそうか)とは、民間人や敵対組織・特定地域内の武装を解除させることである[1]。銃規制、刀狩などの禁武政策が有名である。非軍事化、武装解除とも呼ばれる[2]。
中国の唐代の法律(唐律)の注釈書『唐律疏義』に禁兵器についての記述があり、矛の私有・私造で1年、弩一張で2年半の徒罪が科され、鎧一領もしくは弩3張で流刑、弩5張もしくは鎧3領で絞首刑などが決められており、鎧・馬鎧・弩・矛・馬上槍・軍旗・儀仗などが禁じられた[3]。弓箭・刀・楯・短矛などの武器について記されていなかったことから、民間での所有が許されていたと考えられている[3]。
日本では、唐令に影響を受けて、大宝律令の軍防令私家鼓鉦条に「鼓鉦、弩、牟、矛肖、具装、 大角や小角(角笛)、軍旗類」を私有してはならないとしている。
ヨーロッパでは、1139年の第2ラテラン公会議にて、「29.キリスト教徒に対する殺傷性のある武器の使用の禁止、使用した者は破門」とした。特に、クロスボウと弓矢は「神が憎む」非キリスト教的な兵器として、キリスト教徒に対する使用を禁止した(異教徒への使用は禁じられていないので十字軍では使用された)[4][5][6]。
イギリスでは1715年ジャコバイト蜂起から、英国議会は武装解除法を発布してジャコバイトの銃や剣などの武器を解除しようとした。
1945年9月2日、第二次世界大戦後の占領下日本では、GHQから「民間武器類の引渡準備命令」が出され、その後も民間武器の回収命令が数度出された[7]。ドイツでもモーゲンソー・プランとポツダム協定を通して同様の政策がとられたが、冷戦期に再武装が開始された[8][9][10]。
兵器
戦闘機などから武装と火器管制装置を撤去し攻撃機能を喪失させることで、民間人でも所有できる場合がある[11]。
レナード対ペプシコ事件において、アメリカ国防総省は、アメリカ海兵隊所属のAV-8Bを民間人に売却する際には、武装の他に垂直離着陸能力の撤去も必要であるという見解を示した[12] 。
イギリスでは戦車などの戦闘車両を個人が所有できるため、非武装化した状態で払い下げている[11]。
文化
- 空手道、中国武術 - 禁武政策から護身用に発達したという説もある[3]。
- カポエイラ - 奴隷という非武装の状態から生まれたダンスを模した格闘技。
- 赤羽刀 - 民間武器類の引渡準備命令などの禁止令を逃れた刀剣類。
- チェーザレ・ベッカリーア - 18世紀の法学者。「武器の携行を禁止する法律は、法を順守する人間のみを非武装化させてしまう[13]。」「武装した者よりも、武装していない者の方が襲われると思われる[14]。」としている。
- 暗器 - 隠し武器、非武装状態に見せることができる。
- ボディチェック - セキュリティの高い場所へ入る際、入国などで武器や禁止物を持っていないか確認する。英語では、Strip searchという服を脱がせて確認する方法や腸内まで確認するBody cavity searchを行う場合もある。
出典
- ^ “ウクライナの「非武装化」主張 プーチン氏、仏大統領に:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年9月16日閲覧。
- ^ 荒, 敬、アラ, タカシ、Takashi, Ara「占領期における非軍事化と武装解除 : 特に「占領軍の刀狩り」を中心として」、[出版社不明]、1991年3月、doi:10.14992/00001291。
- ^ a b c 池本, 淳一「伝統中国における禁武政策と民間武術の法的基盤 ――武器に関する禁令に着目して」、会津大学、2019年、doi:10.15016/00000176。
- ^ 武器移転規制と秩序構想―武器貿易条約(ATT)の実施における課題から― 著:榎本 珠良 サイト:明治大学
- ^ “This common weapon was so 'pernicious' that Catholicism banned it” (英語). We Are The Mighty (2020年4月29日). 2022年9月16日閲覧。
- ^ “No. 625: The Crossbow”. www.uh.edu. ヒューストン大学. 2022年9月16日閲覧。
- ^ “一 文化財保護の法的整備:文部科学省”. www.mext.go.jp. 文部科学省. 2022年9月16日閲覧。
- ^ Haller, Oliver, Destroying Weapons of Coal, Air and Water: A Critical Evaluation of the American Policy of German Industrial Demilitarization 1945 - 1952 (Philipps-Universität Marburg: Marburg, 2006).
- ^ Moore, Tristana (2009年6月27日). “Breaking News, Analysis, Politics, Blogs, News Photos, Video, Tech Reviews” (英語). Time. 2022年9月16日閲覧。
- ^ (第一類 第五号) - 昭和二十六年三月二十日(火曜日) 第10回国会衆議院外務委員会議事録第10号 サイト:国会会議録検索システム
- ^ a b “日本国内でも自家用戦車は持てるの? 夢にチャレンジした人たちとその「愛車」(写真32枚)”. 乗りものニュース (2018年9月9日). 2025年4月27日閲覧。
- ^ Mikkelson, David. “Pepsi Harrier Giveaway” (英語). Snopes. 2016年5月23日閲覧。
- ^ “Cesare Beccaria Quote/Quotation”. quotes.liberty-tree.ca. 2022年9月21日閲覧。
- ^ ヴォルフガング・ナウケ ベッカリーア――刑法を批判し,強化する者 立命館大学 著:本田稔
関連項目
- 非武装地帯(DMZ)
- 平和条約(講和)
- 軍備管理、終戦
- 大量破壊兵器禁止条約の一覧
- 一国一城令、破城(城割)、全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方
- 武器等製造法、銃砲刀剣類所持等取締法
- 武装解除・動員解除・社会復帰
- クロスボウに関する法律
- 武装条例 (1181年) - イングランドの法律。武具を所有すべき人間の所有数と所有すべきでない人間について定められた。
- ブレイクダンス - アメリカのギャングが銃を使わずに勝敗を決めるのに、ダンスバトルによって勝敗を決めた。
非軍事化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:08 UTC 版)
「連合国軍最高司令官総司令部」の記事における「非軍事化」の解説
連合国軍による最初の仕事は、日本全国の軍施設に進駐し日本軍の武装解除を進めることであった。イギリス軍やアメリカ軍により残存していた使用可能な兵器類は全てスクラップ、もしくはテストのために持ち去られ、その一方で施設としての軍用地はその多くを駐留軍が引き継ぎ、占領政策の礎とした。例えば、当時の最先端科学分野で日本が著しい進歩を遂げていた理研のサイクロトロン研究や、ロケット戦闘機「桜花」、巨大潜水艦など根こそぎ接収され、それらの研究環境も破壊された。日本の研究所の調査を担当した米国の科学者らは、日本のサイクロトロン実験設備を詳細に見てそのレベルの高さに驚き「なぜ日本は原子爆弾を製造しなかったのか」と疑問を呈し、英国もGHQ最高司令部宛てに「鍋釜以外は日本に作らせるな」と申し入れをした記録も残っている。 物理的な軍事力剥奪の次に進めたのが法的な整備であり「国民主権」「基本的人権の尊重」という民主主義の基本を備えると共に、「戦争放棄」を謳った憲法(日本国憲法)を作成し日本政府に与えた(日本の戦争放棄は幣原喜重郎首相も考えていたとマッカーサーは記録している。また、幣原は自らの著書である『幣原喜重郎―外交五十年』のなかで、戦争放棄や軍事力の解体を考えていた事を明らかにしている)。また、天皇・皇室の神聖性の除去、国家神道の廃止、軍国主義教育の廃止、第六潜水艇に代表される多くの軍人の顕彰施設の破壊など、明治からの社会思想を解体した。
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