レーニン主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:22 UTC 版)
第一次世界大戦後に起きたレーニンによるロシア革命は、資本主義の発達が比較的遅れた地域における革命であった。ソビエト連邦を建国したレーニンは戦時共産主義を行った後、市場経済を取り入れた「新経済政策」(ネップ)を実行した。しかし、レーニンは、市場経済化が端緒にとりかかったところで死去してしまった。レーニンが、党書記長に登用しながら最晩年にはそこからの解任を図ったスターリンは、レーニン死後の権力闘争の過程で反対者を次々と弾圧する一方、苛烈な農業集団化や計画経済体制への移行を通じて、人類最初の社会主義国家建設に成功したと喧伝した。スターリンは、レーニンによって、マルクスの思想の唯一、真正な継承発展がなされたと主張し、マルクス・レーニン主義と呼んだ。 世界恐慌の真っ只中でも目覚ましい経済発展を遂げたと伝えられたこと、第二次世界大戦において強大なナチス・ドイツとの戦争に勝ち抜いたことなどで、ソビエト連邦及びスターリンの政治的威信は増大し、アジア・東欧・アフリカ・カリブ海域において、多くの「社会主義国」が生まれて世界を二分した。しかし、1970年代に入り経済発展の面で西側先進国からの立ち遅れが顕著になったこと、政治的な抑圧体制も広く知られることとなり次第にその権威は失墜、1991年のソビエト連邦の崩壊に前後して、そのほとんどは姿を消した。国家自体は維持したまま社会主義体制を放棄したケースもあれば、社会主義体制放棄とともに複数の新たな国家に分裂したケース(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、チェコスロバキア、エチオピアなど)や、近隣の資本主義国に吸収統合される形で国家ごと消滅したケース(旧東ドイツ、南イエメンなど)もあった。 改革開放以降、社会主義市場経済が本格的に定着した中華人民共和国では、寧ろ原始共産主義的だった毛沢東時代とは違ってマルクス主義の経済発展段階の学説に忠実であり、その究極地点こそが共産主義だと認識されている。中国共産党は現在の状態を『資本主義から離脱した過渡期の状態』と規定し、資本主義部門と、社会主義部門との競争による社会主義市場経済(あるいは混合経済)体制を導入している。ベトナム社会主義共和国(ドイモイを参照)やラオス人民民主共和国も経済開放政策を導入した。一連の政策は国家資本主義を掲げたレーニン時代のソ連のネップが根拠になっていると思われる。 一方、キューバ共和国は市場経済の導入は限定的で、従来からの社会主義体制を継続している。 朝鮮民主主義人民共和国は、1950年代頃からマルクス・レーニン主義から独自発展したと主張するチュチェ思想に立脚して公式プロパガンダの内容や立場を長らく行っていた。1972年の憲法改正で明文化するに至ったものの、徐々に金日成とその一族への献身と個人崇拝を強め煽るようになり、ソ連や東欧で社会主義政権が相次いで崩壊するとマルクス・レーニン主義に対する言及は減少、2010年党規約から共産主義を削除している。
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