レーニンの敗戦革命論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:50 UTC 版)
「日支闘争計画」の記事における「レーニンの敗戦革命論」の解説
「革命的祖国敗北主義」、「コミンテルン#レーニン時代」、および「ウラジーミル・レーニン#コミンテルンの創設」も参照 敗戦革命論とは、軍を取り込むか無力化させて革命勢力に対抗する力を削ぐという理論。パリコミューンおよび帝政の倒れたロシア革命やドイツ革命のように、戦争や内乱・騒擾などによる自国の混乱や弱体化に乗じて革命で政権を掌握させることを目指すものである。これには政策の妨害も含まれる。1920年(大正9年)レーニンはモスクワ共産党細胞書記長会議で次のように述べた。 全世界における社会主義の終局的勝利に至るまでの間、長期間にわたってわれわれの基本的原則となるべき規則がある。その規則とは、資本主義国家間の矛盾対立を利用して、これらの諸国を互にかみ合すことである。われわれが全世界を征服せず、かつ資本主義諸国よりも劣勢である間は、帝国主義国家間の矛盾対立を巧妙に利用するという規則を厳守しなければならぬ。現在われわれは敵国に包囲されている。もし敵国を打倒することができないとすれば、敵国が相互にかみ合うよう自分の力を巧妙に配置しなければならない。そして、われわれが資本主義諸国を打倒し得る程強固となり次第、直ちにその襟首をつかまなければならない
※この「レーニンの敗戦革命論」の解説は、「日支闘争計画」の解説の一部です。
「レーニンの敗戦革命論」を含む「日支闘争計画」の記事については、「日支闘争計画」の概要を参照ください。
- レーニンの敗戦革命論のページへのリンク