メインストリーム復帰とイメージ・コミックス: 1993–1998とは? わかりやすく解説

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メインストリーム復帰とイメージ・コミックス: 1993–1998

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:39 UTC 版)

アラン・ムーア」の記事における「メインストリーム復帰とイメージ・コミックス: 1993–1998」の解説

ムーア1993年にメインストリーム・コミックに復帰して再びスーパーヒーロー作品発表し始めた同年魔術師になると宣言した)。後年には、自身脱構築アプローチ低質なエピゴーネン生み出したことに責任感じコミックに「喜び純真さ」を取り戻そうとしたのだと語っている。しかし衆目の見るところによると、前言翻した理由には経済的なものもあった。個人資産投入した出版社マッドラブBig Numbers挫折と共に活動停止していた。ムーア夫妻ら3人の恋愛関係数年しか続かなかった。フィリスデボラ娘たち連れて2人新しい生活を始め1980年代作品稼いだ財産のほとんどを持ち去っていった。 寄稿先イメージ・コミックス当時ブーム真最中だった。同社暴力描写女性の性対象化といった作風作画重視マーケティング重視方針知られており、ムーアのような文学的コミック称揚する批評家からは評価低かった。しかしクリエイター主導設立され新会社ということもあり、著作権創作上自由についての方針ムーアにとって賛同できるものだったムーアはまず10万ドル+印税という破格報酬『スポーン』第8号1993年)のゲスト原作者務めキャリア初期SF短編思わせるブラックユーモア見せた同年オリジナル作品1963英語版)』(作画リック・ヴィーチ、スティーヴン・ビセット)全6号出た60年代マーベル・コミックス作品パスティーシュで、後に一般的になるスタン・リーパロディの先駆けだったが、ムーア自身生み出したシリアスダークスーパーヒーロー像の全盛期でもあり、こうした路線ファン支持得られなかった。ムーアは後にこう語っている。あのバカげた『1963』を書いた後で、私がいなかった間にコミック読者どれほど変わったか気づいた。突然、読者大半読みたがっているのはページ全体ピンナップ風になったストーリー皆無のやつだと思えてきた。そこで、そういうマーケット向けてまともな作品書くことができるか純粋に試してみようと思った ムーア13歳から15歳向けの、平均よりはましな作品執筆始めた『スポーン』から派生した3つのミニシリーズ、『バイオレーター英語版)』(1994年)、『バイオレーターvsバドロック(英語版)』(1995年)、『スポーン: ブラッド・フュード』(1995年)はその例である。これらの作品評者によってD.R. & Quinch で鍛えた悪ガキ風のユーモアバカバカしいエクスプロイテーション・コミックでもスタイル保っているとされるともあれば、[当時読者には] ムーアエッジなくしたように見えたことだろうという評価もある。そうして収入確保するかたわら、非商業的なフロム・ヘル』と Lost Girls執筆続けた本人の言によると交響楽団所属しながら、週末にだけバブルガム・バンドで演奏するようなものだったムーア長文精緻な原作スクリプト書くこと知られているが、この時期イメージ提供した原作簡略なネーム形式のものだった1995年にはジム・リー月刊シリーズ『WILDC.A.T.S(英語版)』の原作任され第21号から14号わたって書き続けたそれまで主人公チーム宇宙ストーリー続けるのと並行して地球新チーム結成されるという展開で、ランス・パーキンはまとまりのない凡作だと評している。ムーアジム・リー好感持っていたため珍しくレギュラーシリーズ引き受けたのだが、自身でもその出来には満足しておらず、ファン好み推し量りすぎて新しいものを書けなかったと言っている。ある評者ムーアが自らの選択によって1980年代体現していたポップなエネルギー失った論じた次に請け負ったロブ・ライフェルド(英語版)の『スプリーム英語版)』(1996年、第41号–)はスーパーマンから力をふるう快感だけを抜き出したようなキャラクターだった。ムーアはここで、キャリアの初期手掛けたスーパーヒーロー作品のように徹底した再構築行った。しかしリアリズム強調する代わりに、『1963』で行ったことをさらに徹底して1960年代いわゆるアメリカン・コミックスシルバーエイジ英語版)」期の牧歌的なスーパーマンをそっくり真似たその上でメタな視点取り入れアメリカスーパーヒーロー神話への回帰と、当時のコミックシーンの批評行ったのであるムーア執筆期の『スプリーム』は内容売上両面成功おさめた1997年には『スプリーム』と『フロム・ヘル』の両作によってアイズナー賞原作者部門受賞したエアーズはこれがムーアにとって商業性作家性の両立果たした象徴的な出来事だったと書いている。 その後ロブ・ライフェルドはイメージと袂を分かってオーサム・エンターテインメント(英語版)を起ち上げ、イメージ・ユニバースから引き揚げ自分キャラクター使って新しい世界設定作るようムーア依頼したムーア素朴なゴールデンエイジ英語版)(1930–50年代)に始まって1990年代当時へと至る歴史後付け作りメタなストーリーによってオーサム作風生まれた理由批評的描き出した。全3号ミニシリーズジャッジメント・デイ英語版)』(19971998年)で新しいオーサム・ユニバースの基礎形作られ、『グローリー』(1999年)や『ヤングブラッド英語版)』(1998年)が続いた。しかしイメージの傘から抜け出たオーサム業績悪化し刊行の遅れ中止相次いだムーアによるとライフェルドの言動信頼がおけず、仕事相手として評価できなかった。イメージ・コミックス共同創立者多くも(ジム・リーやジム・ヴァレンティノ(英語版)を除いて同様だった

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