ボンネットバン黄金時代(550cc)
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「軽自動車」の記事における「ボンネットバン黄金時代(550cc)」の解説
1976年1月 規格改定。長さ3.20m、幅1.40m(高さ2.00m) 550cc 排ガス規制などの影響を受けて改訂されることになった。規格改定より間がなかったことで、改訂と同時に新規格車の販売とはならなかった。1976年4月より各社より新規格車が発売されるが、三菱自動車工業の2G2型471ccや富士重工業のEK型490cc、スズキのT4A型443cc、更にはダイハツによるスズキ・フロンテへのエンジンOEM供給など、各社ともエンジンの対応に苦慮したが、1977年中にはさらなる排気量拡大などにより各社とも550cc化への対応をほぼ完了した。また、車体の面では当初は360ccの車体のままバンパーの大型化のみで新規格サイズへ拡大するなど、さまざまな方法で新規格対応車を発売している。 1977年7月 ホンダ、TNシリーズの後継モデルとしてホンダ・アクティを発売。 10月 スズキ、フロンテクーペの後継車としてスズキ・セルボを発売。 1978年昭和53年排出ガス規制が軽乗用車を対象に成立。NOx排出基準は1973年4月以前比約8%まで強化。マスキー法の目標であった1970年式比1/10以下の目標が完全達成されることとなり、三元触媒の普及が軽乗用車でも進んでいく。スズキのみこの規制下でも2ストロークエンジンの通過に成功し、フロンテやセルボなど一部車種で2ストロークを継続。 1979年昭和54年排出ガス規制が軽貨物車を対象に成立。 5月 スズキ、初代アルト発売。 1980年6月 ダイハツ、初代ミラ発売。外観はハッチバック型乗用車風ながら後部座席を狭くしその分荷室を広くして、貨物自動車型(軽ボンネットバン)として発売された軽自動車(4ナンバー車)が、税金の安さなどから急速に普及。アルトやミラなどがこれに分類される。 1981年2月 ホンダ、ストリートを発売。 4月ダイハツ工業からアトレーを発売。乗用タイプの軽1BOXが登場した(当時は軽貨物車扱いで、貨物室が確保されていた)。 1982年昭和57年排出ガス規制が軽貨物車を対象に成立。 スズキ、キャリイバンがスズキ・エブリイに改名。 1983年2月 スズキ、スズキ・マイティボーイを発売。 3月 三菱、ミニカ・アミL/エコノにターボエンジンモデルを追加。 軽自動車初のターボ車の登場。 1984年 9月 スズキ、フロンテとアルトをモデルチェンジ。T5B型が生産終了となり、軽乗用車から2ストローク機関が姿を消す。 1985年10月 ダイハツ、ミラターボTR-XX発売。 ホンダ、トゥデイでバンタイプの商用車以外の軽自動車(ボンネットバン)再参入。 スズキ、キャリイとエブリイをモデルチェンジ。軽トラックから2ストローク機関が姿を消す。 1987年2月 スズキ、アルトワークス発売。 6月 三菱、ミニキャブにスーパーチャージャー搭載車を設定軽自動車初のスーパーチャージャー車の登場。軽トラック初の過給器搭載事例であり、同年中にスズキ、ダイハツもそれぞれキャリイ、ハイゼットにスーパーチャージャーを設定する。 メーカー間のパワー競争が激化。協定により当時最もハイパワーだったアルトのそれを元に64PS(47kW)が上限となる。しかし過給器付の軽自動車の大半は排気系の抵抗を増大して形式登録を受けており、排気系を合法の枠内で簡単に改善するだけで自主規制をオーバーし、80 - 90PSは出てしまうものがほとんどである。 1988年 SJ30型ジムニーの国内販売が在庫車両の完売をもって終了。軽自動車から2ストローク機関が完全に姿を消す事となった。 1989年2月 道路運送車両法施行規則改正により、軽自動車の規格が1990年1月に改訂されることが決まった。 4月 消費税導入により、自動車物品税廃止。税金が安かった貨物車型のメリットが小さくなり、市場は乗用車型(5ナンバー車)へと大きく変化。 マツダ、キャロル復活で軽乗用車に再参入。エンジンはスズキ供給。また、自社でボディを作成していたポーターキャブは、スズキのOEMのスクラムに切り替わる。
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