ブラームスの性格とは? わかりやすく解説

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ブラームスの性格

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 05:11 UTC 版)

ヨハネス・ブラームス」の記事における「ブラームスの性格」の解説

ベートーヴェン同様に自然を愛好し、よくウィーン周辺散策したその際キャンディ持参して子供たち与えたりもした。大人に対して無愛想皮肉屋だった(このため作品を貶されたフーゴ・ヴォルフハンス・ロットらは反ブラームス転じた)。気持ち率直に伝えることが苦手で、自分作品についても語ることを嫌がったという。偉大な人物として扱われることも嫌っており、「大作曲家(ブラームスのこと)の健康を祝して乾杯しよう」という提案対し、「賛成モーツァルト健康に乾杯!」と叫んだこともある。ピアニストとして優れていたため、友人サロンなどでしばしば演奏求められたが、求め応じることは少なく応じたときでも弾き飛ばして早く終わらせようとすることが多かった。 彼と友人関係を保った人たちには、前述クララ・シューマンヨアヒム外科医テオドール・ビルロートピアノ弟子でもあったエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルク(ドイツ語版)らがいた。しかしヨアヒムビルロートのような親友とも晩年諍い起こしている。 同時代作曲家ではヨハン・シュトラウス2世親交があり、互いに作曲家として、およびその作品良き理解者だった。実際ブラームスシュトラウス夫人アデーレ継娘アリーチェとする説もある)に送った扇には、シュトラウス代表作美しく青きドナウ』の一節書かれ、さらに「遺憾ながらこの曲はヨハネス・ブラームスの作にあらず」と書き込まれている。また、オペレッタくるまば草』の序曲主題再現部対旋律プレゼントしている。ブラームス自身ワルツ酒、女、歌作品333愛好しピアノ弾いていたという。ヨハン・シュトラウス2世ワルツもろびと手をとり作品443は、ブラームス献呈されている。 一方唯一の作曲弟子であったグスタフ・イェナーによると、音楽的に間違った音は一音たりとも弾かせず、曲の出来が悪いと「君に必要なのは才能だ」などと容赦なく罵倒したという。しかし、その後イェナーが精神的に追い詰められているのを見ると「これからも僕にほめてもらおうなんて思ってはいけない。これくらいのことでくじけていては、君の全て台無しになってしまう」と励ます優しさもあったという。 ブラームス完璧主義徹底していて、現存するごく一部除いて完成した作品スケッチ初稿はほとんど破棄してしまうのが常だった実際最初作品発表するまでにヴァイオリンソナタ3曲、弦楽四重奏曲20曲以上を世に出すことなく焼き捨てたと発言している。さらに、晩年になって友人に昔の作品処分するよう依頼している。このためブラームス初期作品及び、作曲過程詳細今日では不明な点が多い。現在では、記録を基に破棄され初稿復元する試みが行われている(セレナード第1番など)。 1860年代以降作品人気博して財政的成功手に入れた後も質素な生活好み3部屋のアパート家政婦住んでいた。朝はプラーター公園散歩し、昼には「赤いはりねずみ」(Zum roten Igel)というレストラン出かけるのが彼の習慣だった。ブラームス親戚たち金品惜しみなく渡し、そのうえ匿名多くの若い音楽家支援したまた、アントニン・ドヴォルザーク才能見出し支援したのもブラームスである(ブラームスは、彼のメロディーメーカーとしての才能羨んで彼の屑籠をあされば、交響曲一曲書けるだろう」と語っている)。 リヒャルト・ワーグナーとは反りが合わなかった。もっとも、ワーグナーブラームス自身演奏したヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』を聴いて、「古い様式でも、本当に出来る人にかかると、いろいろなことが出来るものだ」と評価している。また、ブラームスのほうもワーグナー作品ドイツが誇るべき偉大なものと捉えていて、自らを「最高のワーグナー・ファン」と称したこともある。何より両者ベートーヴェン尊敬していたという点が共通するワーグナー影響受けたアントン・ブルックナーとも、しばしば衝突したブラームスは、ブルックナー交響曲を「交響大蛇」と貶している)。ブラームスオルガニストとしてのブルックナー高く評価していたが、ブラームス支持者である評論家エドゥアルト・ハンスリックブルックナー支持者との間に論争起こったので、勢い作曲家としては認めることが出来なかった。それでも、同じウィーンに住む者同士反目良くない間に立つ人がいて、両者ブラームス行き付けの「赤いはりねずみ」で会食した。このとき、2人とも肉団子好物だったことがわかり、打ち解けた雰囲気となったそのときブルックナー言葉は「ブラームス博士!この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」。1896年ブルックナー葬儀ブラームス会場の扉にたたずんでいた。中に入るよう促されたが、「次はわしが棺桶に入るよ」と寂しそうつぶやいたという。 ドイツ愛国主義者でもあり、普仏戦争勝利を祝った運命の女神の歌』や、『ドイツ軍勝利の歌』などの作品残している。彼の部屋にはベートーヴェンの像と、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルク写真飾られていた。一方ユダヤ系事業家らと親交があったこともあり、「反ユダヤ主義狂気の沙汰だ」と知人語ってもいる。

※この「ブラームスの性格」の解説は、「ヨハネス・ブラームス」の解説の一部です。
「ブラームスの性格」を含む「ヨハネス・ブラームス」の記事については、「ヨハネス・ブラームス」の概要を参照ください。

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