ブラー・ブラー・ブラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 20:37 UTC 版)
「イギー・ポップ」の記事における「ブラー・ブラー・ブラー」の解説
1985年12月、イギーとボウイはカリブ海のマスティク島に滞在し、3ヶ月かけて新作のための曲を共作した。翌1986年5月、スイスモントルーのマウンテン・スタジオに移り、ボウイとの共同プロデューサーとしてデヴィッド・リチャーズ(英語版)を迎え、レコーディングを行った。レコーディング終了後に配布されたテープにはA&Mとヴァージン・アメリカが反応し、最終的ににA&Mが500,000ドルの契約金を提示して、配給権を獲得した。1986年10月23日、『ブラー・ブラー・ブラー(英語版)』と名付けられた4年振りの新作がリリースされた。A&Mはこのアルバムを慎重にプロモートすることを心がけた。PR写真は休養期間中に獲得したセレブレティイメージそのままの物を使用し、リリースに伴うツアーはイギーの人気が高く、集客を見込め、その後のプロモート用映像に使用する際にも好都合な大都市を重点的に回る短期間のものに留めた。その他の地域ではテレビ出演を中心としたプロモートに徹し、新曲「リアル・ワイルド・チャイルド (ワイルド・ワン)(英語版)」の宣伝に努めた。イギーもこれまでと異なり、レーベルの期待通りの応対を各所で見せ、アルバムやシングルのセールス寄与に気を配った。結果的に『ブラー・ブラー・ブラー』は、イギーのアルバムとしては『イディオット』以来のビルボード100位以内にチャートイン(最高位72位)し、イギリスでも『ラスト・フォー・ライフ』以来の50位以内(最高位43位)を記録した。イギリスではこれに加えてシングル「リアル・ワイルド・チャイルド (ワイルド・ワン)」がチャート最高位10位を記録し、イギーのヨーロッパにおける人気の高さと、商業的な可能性を改めて証明することになり、音楽業界第一線への復帰に花を添えた。
※この「ブラー・ブラー・ブラー」の解説は、「イギー・ポップ」の解説の一部です。
「ブラー・ブラー・ブラー」を含む「イギー・ポップ」の記事については、「イギー・ポップ」の概要を参照ください。
- ブラー・ブラー・ブラーのページへのリンク