ピウス10世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ピウス10世 (ローマ教皇)の意味・解説 

ピウス10世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 06:21 UTC 版)

聖人 ピウス10世
第257代ローマ教皇

ピウス10世(1914年頃撮影)
教皇就任 1903年8月4日
教皇離任 1914年8月20日
先代 レオ13世
次代 ベネディクトゥス15世
司祭叙階 1858年9月18日
司教叙階 1884年11月16日
マントヴァ司教)
その他 1893年6月12日:枢機卿
聖人
記念日 8月21日
9月3日(トリエント・ミサ
列福 1951年6月3日
バチカン サン・ピエトロ大聖堂
列福決定者 ピウス12世
列聖 1954年5月29日
バチカン サン・ピエトロ大聖堂
列聖決定者 ピウス12世
個人情報
出生 (1835-06-02) 1835年6月2日
オーストリア帝国
ロンバルド=ヴェネト王国 リエーゼ
死去 (1914-08-20) 1914年8月20日(79歳没)
イタリア王国 ローマ 教皇宮殿
宗派 カトリック教会
母校 パドヴァ神学校イタリア語版
署名
紋章
その他のピウス
テンプレートを表示

ピウス10世ラテン語: Pius X, イタリア語: Pio X, 1835年6月2日 - 1914年8月20日)あるいはピオ10世は、ローマ教皇(在位:1903年8月4日 - 1914年8月20日)、カトリック教会教皇。本名はジュゼッペ・メルキオッレ・サルト(Giuseppe Melchiorre Sarto)。カトリック教会の聖人であり、16世紀ピウス5世以来、400年ぶりに教皇として列聖された人物である。

生涯

ジュゼッペ・サルトは1835年にヴェネツィアに近いリエーゼで農家の息子として生まれた。父は配達の仕事をしていた郵便局員だった。パドヴァトレヴィーゾの神学校で学び、1858年司祭叙階されるとトマス・アクィナス教会法を学んだ。マントヴァの司教を経て、1896年に枢機卿としてヴェネツィアの大司教に任命された。しかし、当時は教会とイタリア王国が対立状態にあり、司教の任命をめぐっても、両者が対立することが多かった。サルトの大司教任命をめぐってもイタリア王国からのクレームがついたが、なんとか問題を解決することができた。

1903年8月、レオ13世の死後に行われたコンクラーヴェは、拒否権が行使された最後の選挙となった。拒否権は(オーストリアの意向を受けて)最有力候補であったマリアーノ・ランポッラ枢機卿に対して行使され、結果として選ばれたのがサルトであった。彼はピウス10世を名乗るとまず、このコンクラーヴェにおける拒否権を廃した。

ピウス10世は保守的な教皇として知られ、「近代主義」と「相対主義」をキリスト教を脅かす思想として警戒した。また、フランス首脳がイタリア王を訪問したことを非難して、フランスとの関係が悪化した。教会内においては教会法の改正を指示し、グレゴリオ聖歌典礼における利用を推進した。また、ジャンセニスムの影響で聖体拝領を敬遠する信徒が多くなっていた状況を憂い、頻繁な聖体拝領と子供の早い時期での初聖体を奨励した。

日本のカトリック教会に対しても配慮し、幕末以来パリ外国宣教会しか入っていなかった日本に、他の修道会宣教を許可した。自身もイエズス会に日本での活動を依頼している。これが後の上智大学創立へつながることになる。

ピウス10世の遺体(聖遺物

ピウス10世はサラエボ事件の直後、オーストリア皇位継承者カールに、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に戦争の危険性を十分に認識させるよう手紙を送るなど、第一次世界大戦回避に手を尽くそうとした。自分の治世に、歴史上なかった大戦争が勃発したことにショックを受け、1914年にこの世を去った。

1954年5月29日ピウス12世によって列聖された。

脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ピウス10世 (ローマ教皇)」の関連用語

ピウス10世 (ローマ教皇)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ピウス10世 (ローマ教皇)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピウス10世 (ローマ教皇) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS