ビデオデッキの発売
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 15:44 UTC 版)
1976年(昭和51年)10月31日、日本ビクターがVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。また、シャープ、三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。翌1977年(昭和52年)1月よりビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHSの1号機であるHR-3300の最初期(1976年10月 - 12月)に生産されたロットは戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴ(「VICTOR」ロゴ)をつけた唯一のデッキとなった。なお、1977年1月生産・出荷分からは現ロゴとなっていた。 1977年(昭和52年)には松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「ナショナルマックロード」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。 長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため、1977年(昭和52年)に米国市場向けの2倍モード(LP)が、日本国内向け機器にも1979年(昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され、幅広い機種に搭載された。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後は5倍モードも開発され一部の機種に搭載された。 1972年(昭和47年)に松下電器のビデオ事業部長になった谷井昭雄(元社長)によると、VHS普及の最大の山場は1977年2月のRCAとの提携だった。条件が付いて8月の出荷までに録音時間を2倍の4時間にすることも求められ、村瀬通三(元松下電器副社長)などの技術陣が達成した。松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCAより、アメリカンフットボールの録画のためさらに長い録画時間が必要という要望があり、2倍(LP)モードをつけたVHSデッキを開発。OEM供給したが日本ビクターの了承を得ないものだった。VHS標準(SP)モードより画質・音質が低下し、さらにVHS規格の互換性からも外れる事から日本ビクターは松下電器の勝手なふるまいに怒り、2倍(LP)モード録画対応機種を絶対に日本国内で発売しないよう松下電器へ強く要請していた。日本国内のVHS陣営各社も、標準(SP)モードの2時間もあれば十分で、4時間録画の2倍(LP)モード採用には、日本国内にはアメリカンフットボールのような長時間録画需要が当時は無かったため否定的で、VHS規格の互換性からも外れているために採用する動きは無かった。 当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅はコンパクトカセットより狭く、テープスピードは3/4だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)および周波数特性の劣化が顕著となる。なおワウフラッターはビデオではテープ走行は同期の乱れとなるために厳格に管理されていた。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべくドルビーノイズリダクションシステム(ドルビーB)、dbxなどの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたものの周波数特性には対応できなかった。その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを現在、持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。さらに問題なのがノーマル音声トラックに2ヶ国語の洋画を録画した場合であり、日本語と外国語が同時に再生される。当然のことながらスピーカーの左右バランスを調整しても解決はしない。
※この「ビデオデッキの発売」の解説は、「VHS」の解説の一部です。
「ビデオデッキの発売」を含む「VHS」の記事については、「VHS」の概要を参照ください。
- ビデオデッキの発売のページへのリンク