ノバスコシアとサウスカロライナ
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「フランシス・ニコルソン」の記事における「ノバスコシアとサウスカロライナ」の解説
ニコルソンは遠征が失敗した後でロンドンに戻り、自分のためにノバスコシア総督の地位を得るべく活動を始めた。1710年の勝利以後、サミュエル・ベッチがその総督を務めていたが、その植民地支配は(ポートロワイヤルの支配に限られていた)、効率の良いものではなかった。ベッチと当時権力を握っていたトーリーの内閣は、特にフランス人カトリック信者の扱いについて、事態にどう対処するかについて意見を異にしており、ニコルソンはこれら苦情に乗ずることになった。苦衷と幾らか極端な非難(例えばベッチはニコルソンをジャコバイトのシンパだと非難した)に彩られた議論の後に、1712年10月、ニコルソンに総督の地位が与えられた。その任命にはプラセンティアの総督職と、全植民地の財政に関する監査官としての権限も含まれていた。1714年にポートロワイヤルで数週間を過ごしただけで、総督職は副総督のトマス・コールフィールドに任せた。この数週間はアカディア人との不一致で占められており、彼らは総督が代わったことに乗じて、ニコルソンが準備のできていなかった妥協を引き出そうとした。ニコルソンは軍隊と町との間の交渉を制限する命令を出し、既に低下していたポートロワイヤル守備隊の士気をさらに下げることになった。ニコルソンはイギリス植民地商人とフランス人の間の交易も取り締まり、フランスの港との貿易を望むイギリス商人には免許を申請させた。 ニコルソンはノバスコシア総督としての時間の大半をボストンで過ごし、そのまた大半をベッチの財政を調査することに使った。ベッチはニコルソンの敵意と自分の内情に関する差し出がましい検査を、ほとんど自分を中傷するための党派的な試みだと解釈した。ベッチはニコルソンのことを「怒り、悪意、狂気が吹き込むことのできる」ことなら何でもやる「悪意の狂人」と呼んだ。ニコルソンはベッチがイングランドに行けば自己弁護できるであろうから、そこに向かうのを阻止し、ニコルソンの力の及ばないコネチカットのニューロンドンに逃げさせ、そこからイングランドに向かう船を求めさせた。1714年、ジョージ1世が王位に就き、ホイッグ党が政権を取り返すと、ベッチはその汚名を雪ぐことに成功し、ニコルソンから総督職を取り戻した。ニコルソンは植民地を無視していると、ベッチたちに告発されていた。 ニコルソンは1721年から1725年までサウスカロライナ植民地としては最初の王命総督を務めた。植民地人が領主の支配に対して反抗し、王室による支配要請に対応してニコルソンが総督に指名された。その反乱は、インディアンからの脅威に対して領主たちが不適切な対応をしたことに促されたものだったので、ニコルソンは幾らかのイギリス軍を伴って行った。主に反乱の支持者で構成される評議会を作り、植民地の事情を支配するためのある程度の裁量を与えた。ニコルソンは他にも地位を持っていたので、政治的な対立を抑える手段として航海法の執行を使った。メリーランドやバージニアで設定したものをモデルにして植民地の地方政府を設立した。例えば1722年のチャールストンの法人化があった。教育とイングランド国教会のために、公費も自分の金も遣った。植民地に全く新しい司法体系を導入した。チェロキー族インディアンとの協定を交渉して領土の境界を決め、交易を促進し、メリーランドやバージニアに居るときに提唱していたのと同様な政策を追求した。植民地政府にインディアン問題担当コミッショナーの制度を導入し、1750年代に王室がインディアン問題を管理する任務を再開するまで、その職が残っていた。 サウスカロライナ植民地は他の植民地と同様に、通貨の不足が慢性的な問題であり、それを補うために信用債券(紙幣)を発行した。ニコルソンが統治した時は、債券が何度も発行されたが、ニコルソンが植民地を離れた後に、インフレが危機的な状況まで高まることはなかった。しかし、それは商人を怒らせ、ニコルソンに対する苦情を貿易省まで上げることになった。プランテーション所有者のウィリアム・レットなど領主制の支持者が、ニコルソンは密貿易に関わっているという長く続いた嘘の告発とも組み合わされ、ニコルソンはこれら告発に対して自己弁護するためにイングランドに戻る必要があると考えた。1725年にチェロキー族のバスケットを持ってロンドンに戻った。それは大英博物館の初期コレクションの一部になった。
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