ネヴァー・エンディング・ツアーとは? わかりやすく解説

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ネヴァー・エンディング・ツアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 08:32 UTC 版)

ボブ・ディラン」の記事における「ネヴァー・エンディング・ツアー」の解説

一連のスタジアムコンサートツアーを終えたボブは、1988年6月7日より小さなホールにおいて最小限メンバー即興性全面押し出したショウをはじめることにした。このツアーは「ネヴァー・エンディング・ツアー (Never Ending Tour) 」と題され1991年G・Eスミスサポートメンバー脱退を以てひとまず完結となった。これ以降ディランツアーは、それぞれ別のタイトルつけられているのだが、いつしかファンの間では、以降ボブステージおしなべて「ネヴァー・エンディング・ツアー」という名称で呼ばれるようになった当初パンキッシュアプローチ見せたが、次第アコギハーモニカという従来スタイル捨てメロディーラインアンサンブルかなぐり捨てひたすらリードギター弾きまくるスタイルになり、そのグルーヴ感全面押し出すスタイル一部評論家(特に小倉エージ旧来のウォッチャー)は「ボディ・ミュージック」とも形容した。ツアーメンバーには、テレビ番組サタデー・ナイト・ライブ」も手がけたG・Eスミス後述30周年コンサートでもハウスバンドのギタリストとして事実上コンサートマスターであった)、ウィンストン・ワトソン(ジョン・ボーナムばりのパワフルなドラミングで、1990年代半ばのボブ・ディランサウンドを象徴した)、チャーリー・セクストン(元ソロ歌手)らが入れ替わり立ち代わり参加している。 1990年に『アンダー・ザ・レッド・スカイ』を発表後ボブその後7年自作曲スタジオ・アルバムを作らなくなったそのことに関してインタビューで「過去いっぱい曲を作ったので新曲作る必要を感じない」と発言している。 その後1997年までに発表されたものは、2枚のトラディショナル・ソングのカバー・アルバムグッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』と『奇妙な世界に』、未発表曲のコンピレーションベストMTVライブであった。またウィリー・ネルソンアルバムへのゲスト参加映画ナチュラル・ボーン・キラーズ』への楽曲提供ポール・アンカカバーユー・ビロング・トゥ・ミー」)、マイケル・ボルトンとの共作Time, Love And Tenderness」などもあった。 1991年2月グラミー賞生涯功労賞Lifetime Achievement)を受賞授賞式では湾岸戦争開始直後好戦気分溢れ時期ありながら、「戦争親玉」をハードロックアレンジで歌い聴衆度肝抜いた同年には、それまで過去音源からの未発表曲を網羅した『ブートレッグ・シリーズ第1〜3集』を発表した。「アイ・シャル・ビー・リリースト」「ブラインド・ウィーリー・マクテル ("Blind Willie McTell") 」「夢のつづき ("Series Of Dreams") 」などの曲で再評価兆しになった1992年10月16日にはレコードデビュー30周年祝ってマディソン・スクエア・ガーデン記念コンサート開催され多くアーティスト一堂会してボブ代表曲歌ったボブ当時過去の人扱いにも似たこの「ボブ・フェスト(ニール・ヤング命名)」にはあまり嬉しそうではなくステージ上で時折ナーバス表情見せていた。また、出演者勢ぞろいして歌ったマイ・バック・ページ」はCDボブボーカル差し替えられていたりと、編集形跡みられる。 "Song to Woody" はPA不備によりアルバム収録はならなかったが、アコースティック・ギター一本鬼気迫るリードを弾く「イッツ・オールライト・マ ("It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)") 」は満場観客捉える充分一撃であった1994年2月8年ぶりに訪日コンサート行なう4月には奈良市東大寺境内行なわれユネスコ主催音楽祭THE GREAT MUSIC EXPERIENCE '9421世紀へ音楽遺産めざして〜 AONIYOSHI』のため再訪日。東京ニューフィルハーモニック管弦楽団バックに3曲(鐘をならせ("Ring Them Bells")、アイ・シャル・ビー・リリースド("I Shall Be Released")、激しい雨が降る("A Hard Rain's A-Gonna Fall"))を披露したそのうちの1曲「はげしい雨が降る」のシンフォニックバージョンがヨーロッパオセアニアなどでシングルCDディグニティ」のカップリング曲として収録されている(国によっては「悲しきベイブ (Renaldo & Clara Version)」に差し替えられている)。 夏には「ウッドストック1994 ("Woodstock '94") 」にも出演。公式アルバムには、ボブの曲からは「追憶のハイウェイ61 ("Highway 61 Revisited") 」だけが収録された。年末にはMTV公開番組MTVアンプラグド』に出演1960年代の曲を中心とした選曲で、評判となる(ボブ当初古いフォーク・ソングやること決めていたが、ソニー側反対した)。翌年MTVアンプラグド』(1995年)のCD・ビデオリリース同時期、自身設立したレーベルから、ジミー・ロジャーストリビュートアルバム発表。 "My Blue Eyed Jane" はエミルウ・ハリス、ダニエル・ラノワとの久々仕事であった

※この「ネヴァー・エンディング・ツアー」の解説は、「ボブ・ディラン」の解説の一部です。
「ネヴァー・エンディング・ツアー」を含む「ボブ・ディラン」の記事については、「ボブ・ディラン」の概要を参照ください。

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