ニューディール政策
別表記:ニューディール
「ニューディール政策」とは、1930年代アメリカでフランクリン・ルーズベルト大統領が実施した経済復興のための一連の政策の総称である。英語では「ニューディール(the New Deal)」と呼ばれる。
「ニューディール政策」は、1920年代末に起きた世界恐慌(「大恐慌」)から脱出するための経済対策である。1933年にアメリカの大統領に就任したルーズベルト(ローズヴェルトとも)大統領が打ち出した。救済・回復・改革の3理念を主軸としてアメリカ経済の立て直しが図られた。
ニューディール政策は、簡単にいえば「国家が市場を管理し、人々を保護し、さらに公共事業を推進していけば、消費が促されて恐慌を克服できる」という考え方に基づく政策である。
ニューディール政策は何をしたか
ルーズベルト大統領は職権を行使して市場を統制し、色々な保護政策や規制を作っては実施していった。まず金本位制を廃止して管理通貨制度を導入、これによって政府が市場を管理できるようにした。さらに銀行に預金をしている人々を守るための「連邦預金保険公社」の設立や、金融機関が安定して経営できるようにするための「グラス・スティーガル法」の制定も行った。農業分野では「農業調整法」が施行され、農業生産の量を国が管理することで農産品の価格上昇を図った。
公共事業も推進され、雇用が創出された。1933年には「テラシー川流域開発公社」を設立し、多数のダムの建設を行った。1935年には「ウグナー法」を発表し、労働者のストライキや団体交渉権などが認められるようになる。
ニューディール政策は、既存の大企業などからは少なからず反発を受けていた。反対勢力はニューディール政策を批判し、「大統領の権限を逸脱している」として裁判所に訴えるなどした。裁判所は、この訴えを認め、政策を違憲とした。これにより政策は大いに失速した。
ニューディール政策の結果・成果
ニューディール政策では、大恐慌時代を乗り越えるため、ありとあらゆる政策が試みられた。しかし成果は必ずしも理想的とはいえず、不況の脱却とまでは至らなかった、と評されている。個々の施策を見れば、成功した施策も多々あった。たとえば労働者への権利の保障や雇用増加などは十分な成果を上げている。とはいえ、経済回復の決め手とまではいかなかった。
ニューディール政策は景気回復の決定打とはならなかったが、アメリカは第二次世界大戦への参戦をきっかけに景気を回復させ、経済の安定を実現させた。大量の軍用品を生産するために雇用が生み出され経済が回ったためである。
結局ニューディール政策のメリットはあったのか
ニューディール政策によって得られたメリットとしては、銀行システムの安定、公共事業によるインフラの再建、労働組合の設立や社会保障法が制定されたこと、などが挙げられる。ニューディール政策が生み出したデメリットとしては、農業調整法によって食料価格の高騰を招いたことなどが挙げられる。
「ニューディール政策」の語源・由来
「ニューディール政策(New Deal)」という名称は、マーク・トウェインが1889年に発表した小説「アーサー王宮のコネチカット・ヤンキー」に登場する主人公モーガンが実施した同名の政策にちなんで名付けられたと言われている。ニュー‐ディール【New Deal】
ニューディール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 14:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ニューディール(New Deal)
- ニューディール政策 - アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。
- ニューディール (企業) - ホットヨガ、風力発電、アート・ライフ事業などを手がける日本の企業。
- new deal - globeのアルバム。
- Newdeal - 日本のミュージシャン。
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ニューディール
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「近代から現代にかけての世界の一体化」の記事における「ニューディール」の解説
詳細は「フランクリン・ルーズベルトニューディール政策」を参照 アメリカでは1932年の選挙で、民主党のフランクリン・ローズヴェルトが大統領に当選した。ローズヴェルトは33年3月に就任するや、まず農業調整法(AAA)によって農産物の作付を制限し、過剰な農産物を買い取るなどして生産と供給を調整し、生産物価格を引きあげて農民の生活を安定させ、全国産業復興法(NIRA)で政府と企業との協力を強めて生産の制限や価格の統制、賃金引き上げなどを企業におこなわせ、企業間の公正な競争を促した。 さらに混乱した国際経済からドル経済圏をまもるため金本位制から離脱し、テネシー川流域開発公社(TVA)などの公共投資による地域開発を推進して、失業者を減らそうとした。また、1935年、全国労働関係法(ワグナー法)によって労働者の最低賃金および団結権と団体交渉権を保障した。 こうした一連の、政府の積極的な経済への介入政策はニューディール(新規まき直し)とよばれ、社会対立の拡大を阻止して、国民経済と生活を安定させようというものだった。 外交面では、1933年ソ連を承認し、ヨーロッパにおける列強の対立に対しては、公式には中立を維持した。ラテンアメリカ諸国に対しては、それまでの高圧的な態度をゆるめ、キューバのプラット修正条項を廃止するなど内政干渉をひかえ、かわりにドル経済圏に組み入れようとする善隣外交政策がとられた。
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