1963年のウォレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:02 UTC 版)
「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「1963年のウォレス」の解説
1963年1月、アラバマ州で新しく知事に選ばれた民主党員のジョージ・ウォレスは、「今の人種差別、明日の人種差別、永遠の人種差別!」と叫ぶことで白人南部を刺激した。後にアラバマ大学の戸口に立って、人種差別を止めさせようとした連邦役人を止めようとしたが失敗した。ウォレスはポピュリストや反エリート主義者の仲で伝統的保守主義と対話し、「現実的な」言葉遣いで、長い間ニュー・ディール連衡の一部を担ってきた田園部と労働階級の有権者に共感を呼んだ。反共、「伝統的」アメリカの価値観への憧憬、および公民権運動扇動者、反戦抗議者、性的顕示者への嫌悪を活かすことができた。ウォレスの運動はニュー・ディール連衡の主要要素である低学歴で力が無く低収入の白人を決別させることになり、それが数十年後には南部での共和党支持者になる道を作った。ウォレスは1970年代と1980年代の保守的反動への道を作った。しかし、ゴールドウォーター、バックリーなど保守派本流からの支持は得られなかった。ジョン・バーチ協会やキリスト教反共十字軍からの支持は得た。ウォレスの貧乏白人農夫によるポピュリスト的地盤は、ジョージアのトム・ワトソンのような初期人種差別主義扇動政治家に影響していた。ウォレスは州知事として(さらにその妻を当選させて州知事の夫として)公民権に対する反動的姿勢を、女性に対する支持のような比較的リベラルな政策と組み合わせた。州全体に及ぶ政府による福祉について支持したにも拘わらず、自由な事業や個人資産に政府が干渉することは考えなかった。リベラル派を連邦政府を使って「あらゆる者の私的な事業」に干渉させていると非難し、保守派として「事業と労働の自由」を信じた。
※この「1963年のウォレス」の解説は、「アメリカ合衆国の保守主義」の解説の一部です。
「1963年のウォレス」を含む「アメリカ合衆国の保守主義」の記事については、「アメリカ合衆国の保守主義」の概要を参照ください。
- 1963年のウォレスのページへのリンク