1963年から1965年まで:大英帝国からの独立とマレーシアとの統合
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「シンガポール法」の記事における「1963年から1965年まで:大英帝国からの独立とマレーシアとの統合」の解説
シンガポールは、1963年9月16日にマレーシア連邦に参加し、大英帝国の植民地ではなくなった。この法的な取決めは、1963年マレーシア法(Malaysia Act 1963)(イギリス)、1963年サバ・サラワク・シンガポール(州憲法)枢密院勅令(Sabah, Sarawak and Singapore (State Constitutions) Order in Council 1963)(イギリス) および1963年マレーシア法(Malaysia Act 1963)(マレーシア)の制定によるものであった。 1963年の枢密院勅令は、シンガポールにおいて効力を有する全ての法は引き続き適用されるが、新たな憲法およびマレーシア法との調和を図るために必要となり得る変更、適合および留保に服するものとした。シンガポールはより大きな連邦国家の州となったことから、シンガポール立法議会(Singapore Legislative Assembly)はシンガポール立法府(Legislature of Singapore)に改組され、その立法権はマレーシア連邦憲法に規定される一定事項に限定された。同憲法第75条は、次のように規定する。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} "If any state law is inconsistent with a federal law, the federal law shall prevail and the state law shall, to the extent of the inconsistency, be void."(州法が連邦法と矛盾する場合には、当該連邦法が優先するものとし、当該州法は、当該矛盾の限度において、無効とする。) この時代においては、相当程度の数のマレーシア法(マレー連合州の立法や、マラヤ連合およびマラヤ連邦の布令をふくむ。)がシンガポールにも拡大された。これらの制定法のいくつかは、引き続き(しばしば変更された形で)今日のシンガポールにおいても適用される。 1963年マレーシア法の下で、マレーシアの司法権は連邦裁判所(Federal Court)、マラヤ高等法院(High Court in Malaya)、ボルネオ高等法院(High Court in Borneo)およびシンガポール高等法院(High Court in Singapore)が有していた。この新しい構成が正式に施行されたのは1964年3月16日で、1964年司法裁判所法(Courts of Judicature Act 1964)(マレーシア)によるものであったが、これによりシンガーポール植民地最高裁判所はシンガポール高等法院に置き換えられた。シンガポール高等法院の管轄地域はシンガポール州全域に限定された。
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