大恐慌とニュー・ディール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 09:09 UTC 版)
「マーガレット・バーク=ホワイト」の記事における「大恐慌とニュー・ディール」の解説
1936年、バーク=ホワイトは小説 『タバコ・ロード』の著者として知られていた作家アースキン・コールドウェルとともに、大恐慌後の貧困にあえぐアメリカ南部の小作農民の暮らしを取材する。これを共同でまとめた写真集 (You Have Seen Their Faces)(1937)は、社会改革を訴える強いメッセージを打ち出して、きわめて高い評価を受けている(二人は1939年に結婚したが、1942年に離婚)。 これと並行して、彼女は編集者ヘンリー・ルースが創刊した次の雑誌『ライフ』で、4人の専属写真家の一人となった。彼女の最初の仕事は、ニューディール政策の一環として建造されたモンタナ州フォートペック・ダム(英語版)の建築現場を取材することだった。ここで彼女が撮った巨大なダムの写真は『ライフ』創刊号の表紙を飾り、さらに彼女が周辺の小屋で暮らす労働者たちを取材した写真と記事も、巻頭特集となっている。 ここでバーク=ホワイトが実践した「カメラとペンで取材し、それを総合的に呈示する」という「フォトエッセイ」の手法は、以後、アメリカの雑誌ジャーナリズムでさかんに模倣されることになる。
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