大恐慌後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:38 UTC 版)
しかし1920年代中期以降、ゼネラルモーターズやフォード・モーターが大衆車から高級車に至るフルラインの販売戦略をとり始め、加えて世界大恐慌によってパッカードの市場であった高級車の売り上げが落ちてきた。 これに対応する形で、パッカードでは販路を広げるため、高級車を大量生産する方向に戦略を転換し、1935年に8気筒ながら中級(中価格)カテゴリーに属するパッカード120を発売。それまでの高級感や品質の良さはそのままに価格を下げて、1月から10月までに24,995台を売り上げる成功を収めた。更に1937年には、既に中級車以下のクラスにカテゴライズされる6気筒エンジンモデルを投入し、経営の下支えを図った。 しかし、パッカードが中産階級向けの車に進出したことは、従来絶対的な高級車であった「パッカード」のブランドイメージを低下させた失策とも言われている。同時期には、他の高級車メーカーやフルラインメーカーも、在来高級車より若干下位の大量生産型廉価モデルを発売して販路拡大を図ることで市場縮小に対処したが、その多くは在来高級車と別の車名か、サブブランドとすることで、ブランドイメージの全体維持を図っていた(ゼネラルモーターズがキャデラックの下位に「ラ・サール」ブランドを新設し、フォードがリンカーンの廉価版として、イメージの全く異なる「ゼファー」を発売したのがその例である)。 ともかくも経営の維持が図られ、1941年にはハワード・ダーリンのデザインによる量販型新型車のパッカード・クリッパーを発売する。しかしアメリカの第二次世界大戦参戦により軍需生産が優先され、パッカードを含む米国内各自動車メーカーの民生用乗用車生産は、1942年でいったん中止されることになる。
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