世界大戦・大恐慌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:20 UTC 版)
イギリスは第一次世界大戦によって、戦費調達のために金本位制を離脱する。加えてアメリカからは債務を負い、大戦後もそれまでのような自由貿易と金本位制の維持が困難となった。1920年代にアメリカは最大の貿易国となるが、孤立主義を継続して国際連盟に加盟せず、高関税政策をとった。このためアメリカの政策は世界経済が不安定になる要因となった。 1930年代の世界恐慌によって自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など列強と植民地)は、自国経済圏を保護する名目でブロック経済の政策をとった。貿易の途絶によって各国では多大な経済的不利益が生じたため、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト政権は、前政権の保護貿易政策を変更するために、自由貿易を支持するコーデル・ハルを国務長官に任命した。ハルは、国内の経済的独占のために関税が利用されていると考えて保護主義に反対しており、互恵通商協定法(1934年)の制定に尽力した。この法律によって関税率を引き下げる権限が議会から大統領に移譲され、イギリスをはじめ39カ国との協定に成功した。 大恐慌後のブロック経済は、ヨーロッパでファシズム、ナチズム、共産主義の政権につながった。モノカルチャー貿易を主体としていた中南米では輸入代替工業化の政策が増え、政治では独裁政権やポピュリズムが台頭した。日本は朝鮮半島に続いて満洲や東南アジアに進出して経済圏の拡大を意図したが、満洲事変(1931年)や仏印進駐(1940年)でアメリカと対立し、アメリカから輸入していた石油と鉄屑が不足する。また、東南アジアの貿易圏を破壊したために現地の支持を失った。
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