世界大戦・大恐慌期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:08 UTC 版)
世界大戦による歳出増加で、国家は所得税の歳入への依存を強めた。このため、会計処理手続が課税所得計算でどのように認められるかが問題となり、税務会計が利益概念に影響を与えた。一次大戦後には特需があったが、その反動で1920年代に赤字や減益となる企業が増加した。そのため本業の利益を中心とした損益計算書と、配当や社債についての剰余金計算書を区別するようになり、当期利益が明確になっていった。大恐慌をきっかけにアメリカで設立されたSECは、会計原則を制定するために会計手続委員会(英語版)(CAP)に依頼したが、時間的な制約もあってCAPは特定問題への対処が中心となり、包括的な会計原則は制定されなかった。 1929年には大恐慌が起き、ニューヨーク証券取引所の上場企業の時価総額は89パーセントが失われた。厳しい環境下にあって、投資家保護のために公開基準と収益性を重視する会計観にもとづいて1934年証券取引所法が制定され、証券取引委員会(SEC)が設置された。公認会計士の法的監査が確立し、会計原則にはアメリカ会計士協会とアメリカ会計学学会が積極的に関わり、会計手続委員会へとつながる。 20世紀に成立した社会主義政権では、会計制度は資本主義国と異なる運用をされた。第一次大戦期にロシア革命(1917年)によってソヴィエト連邦が成立すると、会計も社会主義にもとづいて進められ、会計士は計画経済を進める最高国民経済会議のために働くこととなった。国営企業の会計責任者は、貸借対照表と会計報告書を作成して会計を組織する責任を負った。中央集権化と集団農場化が進んだ1930年代からは、スターリン主義に批判的な会計士は活動の場を奪われていき、ソ連財務省と中央統計局が会計の指導と監督を行うようになった。
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