ブロック経済と政治対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
スムート・ホーリー法の成立後は、各国も関税を上げる。ドイツやフランスは平均40パーセントとなり、イギリスも自由貿易政策から保護貿易に転じて平均20パーセントとする。イギリスは連邦諸国に特恵関税を与えて連邦内貿易の強化を始め、アメリカも互恵通商協定でカリブ諸国や中米諸国と経済圏を作った。こうして国内経済の保護を目的とするブロック経済が進み、通貨圏をもとにしてスターリングブロック(英語版)、ドルのブロック、ライヒスマルクのブロック、金本位制を維持するブロック、日満経済ブロックなどが形成された。ブロック間での輸入制限や排他的な関税措置がとられて国際貿易が分断され、近隣窮乏化政策という言葉も生まれた。アメリカでは1929年の生産を100とすると、1932年には54まで落ち、輸出は3分の1に縮小して、失業率は1933年に25パーセントに達した。大恐慌後の世界貿易の縮小は、各国の政治に影響を与える。南アメリカでは1930年から1931年の間に12カ国で政変が起きた。一次産品価格の下落で植民地政府への不満が高まり、カリブ地方、西アフリカ、エジプト、インドなどで政治運動が活発になる。
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