ブロック経済の通貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
「中華民国期の通貨の歴史」も参照 世界恐慌後の各国は、自国の経済を保護するためにブロック経済を進めた。ブロック経済は英連邦のスターリングブロック(英語版)をはじめとして通貨圏にもとづいており、日本は日本円を中心とする日満経済ブロックを形成した。日満経済ブロックは、日本および植民地である台湾、朝鮮、満州国で構成され、のちに中国の中華民国臨時政府、南京国民政府、蒙古連合自治政府が加わった。各地の中央銀行としては台湾銀行(1899年)、朝鮮銀行(1911年)、満州中央銀行(1932年)、中国連合準備銀行(1938年)、中央儲備銀行(1940年)がある。これらの銀行は通貨として台湾銀行券、朝鮮銀行券、満州国圓、聯合準備銀行券(聯銀券)、儲備銀行券を発行した。台湾や朝鮮には日本円を導入する案もあったが、混乱発生時に日本に波及するとの理由で採用はされなかった。中国では、蔣介石政権の幣制改革で法幣が流通しており、対する日本側では円とリンクした聯銀券を流通させようとした。しかし、華北と上海の価格差を利用した鞘取りが増えたために日本側は法幣売りを停止した。これにより外貨転換をできなくなった日銀券は下落し、外貨流入の減少や密輸出の増加などの悪化も起きた。日本側は対策として、法幣の偽造を行った(後述)。太平洋戦争の開戦後に日本の統治下に置かれた東南アジアの諸国は、円とは異なる通貨を維持しつつ日本の経済圏に組み込まれた。 預け合い契約 日中戦争や太平洋戦争の戦費を調達するため、銀行間で預け合い契約という手法がとられた。連合準備銀行は朝鮮銀行、儲備銀行は横浜正金銀行と契約をした。預け合い契約では、たとえば朝鮮銀行東京支店から北京支店に戦費を送金されると、北京支店はそれを自行の連銀名義の円預金口座に記帳する。連銀では自行の朝鮮銀行名義の連銀券預金口座に同額を記帳する。連銀にある朝鮮銀行の連銀券預け金は戦費にあてられた。預け合い契約によって日本国内のインフレーションは避けられるが、同時に中国では通貨の濫発によるインフレーションが悪化した。通貨価値の下落は信用の低下を招き、かわりに法幣が流通した。
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