パブリックアートの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 21:52 UTC 版)
「パブリックアート」の記事における「パブリックアートの歴史」の解説
公共空間での芸術活動の歴史は古代から連綿と続いている。共同体が共有した洞窟壁画や集落の石仏などの偶像や、都市民が資金を出し合った彫刻や教会、権力者が都市や国土を壮麗にするため作らせた彫刻・建築なども公共的な芸術といえる。近代に入り芸術の自律性が確立した後、芸術は芸術家が個人的な表現のために行うものへと変わっていったが、彫刻家は政府や市民の求めに応じて公共空間に置く記念碑的な像の制作を手がける機会も多く、オーギュスト・ロダンの『カレー市民』などのように公共の発注ですぐれた表現が市内に置かれることもあった。 パブリックアートが生まれたアメリカでは、大恐慌後の1930年代、ニューディール政策の下で、公共事業促進局の手で「連邦美術計画」が進められ、多くの失業美術家を雇って壁画や公共建築の彫刻を作らせるなど芸術家支援策が行われた。政府が直接芸術支援に介入したこの政策で、市民の身近に芸術作品が行き渡る効果が得られた。その後、戦後アメリカでは連邦政府や地方政府が芸術家支援のため積極的に芸術作品を発注したほか、1950年代 - 1960年代の都市再開発政策の中で都市に芸術作品が置かれるようになり、パブリックアートという言葉が誕生した。
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