パブリックなものとソーシャルなもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:10 UTC 版)
「資本経済」の記事における「パブリックなものとソーシャルなもの」の解説
アーレントは、パブリックな系public realmの重要性をソーシャルな系と区別し、プライベートなものを活かすパブリックとそれをプライバシーへ押し込めるソーシャルな仕方を識別した。フランス革命はソーシャルなものを、アメリカ革命はパブリックなものをなしたとしている。またハーバマスは公的な圏域を理想的なコミュニケーションから示した。セネットはパブリックなものの喪失を示す。ブルデューはパブリックなものを官僚制が活用してソーシャルなものを削ぐとみなす。こうした、違いや混同は西欧的なものとアジア的なものとの違いから歴史的に表出しており、近代が「社会」の自然性を実定化したことから生み出されている。山本理顕はアーレントを踏まえて建築からパブリックな閾を検証している。資本経済はパブリックな場所に開かれると山本哲士は論じる。アルチュセールはルソーの「社会契約論」のソーシャルな形式関係の擬制的論理を暴露している。
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