反ニューディーラーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 03:51 UTC 版)
「ウィリアム・ロックハート・クレイトン」の記事における「反ニューディーラーとして」の解説
フーヴァーに代わって1933年に大統領に就任したローズヴェルトは、米国経済再建のためニュー・ディールを実施した。1934年4月にはバンクヘッド法が成立し、割り当て分を超える生産について重税を課せられた。クレイトンはこのようなニュー・ディールの農業政策に抵抗し、1933年から1935年にかけて、ラテン・アメリカの綿花生産地であるペルー、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイに買い付け支店を開設した。また1934年9月には、結成されて間もないアメリカ自由連盟(保守勢力の結集と経済統制撤廃を目的とする反ニュー・ディール団体)に加盟した。 しかしクレイトンは、1年足らずでアメリカ自由連盟から脱退する。この頃国務長官コーデル・ハルは共和党政権下の高関税政策を改め、互恵通商協定計画を推進した。クレイトンは、ハルのこうした自由貿易論を支持した。1936年の大統領選の際にはローズヴェルト再選を支持すると言明するが、それはローズヴェルトへの認識を改めたからでは決してなく、本人の説明によれば「ハルを国務長官の地位に留め置くため」であった。
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