ドーリットル攻撃
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「ホーネット (CV-8)」の記事における「ドーリットル攻撃」の解説
詳細は「ドーリットル空襲」を参照 真珠湾攻撃前の日米関係が不安定な時期に、ホーネットはノーフォークから訓練航海に出航した。1942年に入って間もなく、ホーネットの13ミリ機銃は全て20ミリ機銃に交換された。1月31日、ホーネットの慣熟訓練は全て終了した。2月2日、ホーネットの将来の任務のヒントになる「事件」が起こった。この日、ホーネットは2機の陸軍航空隊所属のB-25 ミッチェルを搭載していた。海上での2機のB-25 は、艦の乗員に驚きと戸惑いを与えた。ホーネットは戦闘準備のためノーフォークに帰港し、1942年3月4日にパナマ運河経由で西海岸へ出航したが、乗員にはB-25 での訓練が何を意味したのか気が付く者はなかった。 ホーネットは3月20日にアラメダの海軍基地に到着した。3月27日には、陸軍航空隊所属のB-25がアラメダに到着。ホーネットでは固有の艦載機を格納庫に収納し、3月31日と4月1日に16機のB-25を飛行甲板に搭載した。これと同時に、ジミー・ドーリットル中佐の指揮下70名の士官と64名の兵員が乗艦した。ホーネットを中心とする部隊は第18任務部隊を名乗った。また、ホーネットを援護するため、ウェーク島および南鳥島への攻撃から帰投したばかりのエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を中心とする第16任務部隊(ウィリアム・ハルゼー中将)が合流して護衛任務にあたることとなった。 ホーネットは4月2日、陸軍航空隊員にその命令を秘密にしたままサンフランシスコを出航した。その日の午後、ミッチャー艦長は全乗組員に使命である「日本本土空襲」を通知した。ホーネットの艦内は大いに沸き立った。11日後の4月13日、ホーネットは4月8日に真珠湾を出撃したエンタープライズ以下の第16任務部隊と、ミッドウェー島北方で合流。第16任務部隊は、ホーネット以下の第18任務部隊の使命をこのとき知った。第18、第16両任務部隊は日本に向けて回頭した。4月16日、ホーネット艦上のB-25は出撃態勢に整えられ、翌17日には最後の燃料補給を行った。 ドーリットル中佐率いる爆撃隊は、4月18日夕刻に予定発艦位置から発進し東京を始めとする日本の主要都市を夜間攻撃する予定であった。当初の予定では、発艦位置はおおよそ日本の沿岸から400マイル以内であったが、4月18日未明にエンタープライズのレーダーが複数の目標を発見。次いで朝になって犬吠埼東方で特設監視艇第二十三日東丸に発見される。軽巡洋艦ナッシュビル (USS Nashville, CL-43) が第二十三日東丸を撃沈するが、第二十三日東丸は米艦隊発見を報告しており、機動部隊の存在と位置は日本海軍に察知される。場所は日本沿岸から600マイルの地点で予定位置よりもはるか手前にあったが、第二十三日東丸による発見はハルゼー提督に攻撃隊の発艦を決意させることとなった。 爆撃隊は前日に発艦準備を整えていたが、40ノットを超える強風と30フィートに及ぶ波が激しいうねりとなり、艦は猛烈に揺れ艦首からの波は飛行甲板と乗員達を濡らした。ドーリットル中佐に率いられた爆撃隊は467フィートに及ぶ飛行甲板に固定されたが、最後尾のB-25は扇形に搭載され、飛行甲板の傾斜部分にあったためチェーンで固定されていた。繰り上げられた発艦命令が出ると、ホーネットは針路を変えて準備に入った。7時20分、ドーリットル機を手始めとして、8時20分までに日本の心臓部へ初の空襲を行う部隊として16機のB-25は全て発艦した。ホーネットは自艦の艦載機を飛行甲板に待機させ、エンタープライズともども針路90度で避退を開始し、全速力で真珠湾に向かった。日本語および英語両方のラジオ放送を傍受し、空襲の実施は14時46分に確認される。B-25を搭載・発進してからちょうど1週間後の4月25日朝、ホーネットは真珠湾に帰投した。ホーネットの任務は1年間公式には秘密とされ、フランクリン・ルーズベルト大統領は記者団の質問に対し、攻撃隊の発進位置を「シャングリラ」と回答して煙に巻いた。シャングリラはのちに、現実の空母となって姿を見せることとなった。 極秘任務から帰投したホーネットは、珊瑚海海戦の支援を行うべく4月30日に真珠湾を出撃したが、海戦日の5月8日には間に合わず、エンタープライズによりナウル島とバナバ島に対する攻撃を支援した後、ミッドウェー島に接近してくるであろう日本艦隊を迎撃すべく、5月26日に真珠湾に帰投して、補給と整備を猛スピードで終えて、わずか2日後にエンタープライズとともに第16任務部隊を構成して出撃した。部隊は、当初率いる予定だったハルゼーが皮膚病になって入院したので、ハルゼーの推薦によりレイモンド・スプルーアンス少将に委ねられた。
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