ソクラテスの演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:54 UTC 版)
続いてソクラテスは、かつてマンティネイア(Mantineia)のディオティマという女性に聴いた話という体裁で、当時のソクラテスとディオティマの問答を再現した演説を始める。主な内容は以下の通り。 エロースの性質についてエロースは美しくも善くもなく、また醜くも悪くもない中間的なもの。 ゆえにエロースは神ではなく神霊(ダイモーン)である。 エロースは人間と神々の間に介在し、通訳・伝達・結合を担う数多くの神霊の一つ。 エロースは父ポロス(術策の神)と母ペニヤ(窮乏)の間に生まれ、アプロディーテーの随伴者・僕となった。 エロースは両親の性質を受け継ぎ、貧乏で武骨で汚く家無しであり、また美しい者・善い者を待ち伏せする勇敢・猪突的・豪強・非凡な狩人であり、常に策をめぐらし、知見(プロネーシス)の追求に熱心であり、生涯を通じて愛知者(ピロソポス)であると同時に比類なき魔術師・毒薬調合者・ソフィストである。 またエロースは死なき者(神々)でも滅ぶべき者(人間・動物)のようでもなく、時には一月の内に花咲き・生き・死ぬが、術策が成功すれば再び生まれ返る、しかし取得したものは絶えず消え失せてしまうので、困窮することもなければ富裕になることもなく、(満足した)智者でも(満足した)無知者でもなく、智慧と無知の中間にいる。 エロースがもたらす利益について美しいもの善いものを愛することは、それが自分のものになり、幸福(エウダイモーン)となることを欲求している。 これは万人に当てはまることであり、人間は「善きものを永久に所有すること」を愛求していると言える。 そうしたエロース(愛)を熱心に追求し、熾烈な努力を示す者が「進む道・採る行動」は、「肉体上も心霊上も美しいものの中に、生産すること」である。あらゆる人間は肉体にも心霊にも胚種を持っていて、一定の年頃になると生産することを欲求する。 生殖・懐胎・出産もその一種であり、生産欲と胚種に満ち溢れている者は、美しい者に対して強烈な昂奮を感じる。 そうした営みは滅ぶべき者(人間・動物)にとっての滅びざるもの、一種の永劫なるもの、不滅なるものとなるのであり、愛の目的は不死であるとも言える。 生殖とは古い者の代わりに他の新しい者を残して行くことであり、それは同一個体の新陳代謝と同様である。 これは肉体のみならず心霊においても同様であり、気質・性格・意見・欲情・歓楽・悲哀・恐怖も個人の中で生じては滅するを繰り返すし、知識もまた忘却(消失)と復習(再生)によって保持される。 このようにして一切の滅ぶべき者(人間・動物)は維持されて行くが、それは同一不変ということではなく、自分と同種の他の若者を後に残して行くということであり、そういう仕方によって滅ぶべき者(人間・動物)は不死に与(あず)かる。 肉体の上に旺盛な生産欲を持つ者は婦人に向かい、子をこしらえることで不死・思い出・幸福を未来永劫確保しようとするが、知見(プロネーシス)やその他あらゆる種類の徳に満ち溢れた、心霊に生産欲を持つ者は、それを生産・継承できるような美しい者を求める。肉体のみならず魂も美しい者を非常に歓迎し、徳や行いについての弁舌を滔々と浴びせてこれを教育しようとする。 その結果、この「より美しくより不死な子供(徳)」を共有する両者は、肉親よりもはるかに親密な共同の念と強固な友情によって結び付けられる。 愛現象の秘義この目的に向かって正しい道を進もうとする者は、まず最初に一つの美しい肉体を愛し、その中に美しい思想を産みつけなくてはならない。 しかし次には、一つの肉体の美は他の肉体の美と姉妹関係にあり、あらゆる肉体の美が同一不二であることを悟り、ある一人に対する熱烈な情熱は見下すべき取るに足らないものとして冷ますようにしなくてはならない。 その次には、心霊上の美を肉体上の美よりも価値の高いものと考えるようになることが必要。そして職業活動や制度の内にも美を見出し、それら全ての美は互いに親類として結びついていること、肉体上の美には僅かな価値しかないことを認めなくてはならない。 その次には、学問的認識に向かい、認識上の美をも看取することができ、一人の人間や一つの職業活動とかに愛着・隷従し狭量な人となることがなくなるようにしなくてはならない。 そして愛の道の極致に近づく時、突如として生ずることも滅することも増すことも減ることもない独立自存して永久に独特無二の「美そのもの」を観得する。 そこに到達してこそ人生に生き甲斐があるのであり、「真の徳」を産出するに成功したと言えるし、神(不死なる者)の友となり、不死となる特権が賦与されるにふさわしい。 以上のディオティマの話を聞いて、ソクラテスは説得された。そしてこの宝を得るために、エロース以上の助力者を見出すことは難しいし、人は皆エロースを尊重せねばならない。ソクラテス自身も愛の道を尊び熱心に練習しているし、他人にもその勧告をしている。またいつまでもエロースの偉力と勇気を微力の及ぶ限り讃美する。 以上の演説を聴いて、一同は賞賛した。
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