平田淳嗣
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平田 淳嗣(ひらた じゅんじ、1956年12月20日 - )は、日本の元男性プロレスラー。本名:同じ、旧名:平田 淳二(読みは同じ)。神奈川県平塚市出身。元新日本プロレス所属。血液型B型。
注釈
- ^ a b c “本当はキン肉マンになるはずだった、スーパー・ストロング・マシン引退。”. Number Web. 2018年4月22日閲覧。
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.18』、P80
- ^ a b 『日本プロレス事件史 Vol.18』、P82
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.28』、P88
- ^ a b “Stampede Wrestling British Commonwealth Mid-Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月5日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.28』、P89
- ^ “The Stampede matches fought by Super Strong Machine in 1983”. Wrestlingdata.com. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “The Stampede matches fought by Super Strong Machine in 1984”. Wrestlingdata.com. 2019年3月23日閲覧。
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.28』、P90
- ^ a b c 『日本プロレス事件史 Vol.18』、P83
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.29』、P67
- ^ a b 『日本プロレス事件史 Vol.29』、P69-P70
- ^ 『Gスピリッツ Vol.40』P9-10(2016年、辰巳出版、ISBN 4777817075)
- ^ a b c 『日本プロレス事件史 Vol.29』、P62
- ^ a b c 「ヤバイ!」慌ててカメラを持って追いかけたマシン軍団の〝猪木襲撃事件〟東京スポーツ 2023年9月24日
- ^ a b c d 前代未聞の「おまえ平田だろ」事件 お蔵入りになった平田淳二の〝ハンサム写真〟東京スポーツ 2023年2月12日
- ^ “NJPW IWGP & WWF Champion Series - Tag 23”. Cagematch.net. 2023年4月21日閲覧。
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.29』、P64
- ^ a b 【プロレス】マシンがリングでマスクを脱ぐ!ベースボール・マガジン社 2020年12月5日
- ^ a b “新日本プロレスを支えたスーパー・ストロング・マシンがふり返る“二番手人生”「『なんであんなこと言ったんだ!』って怒られたけど気にしなかった」”. 週プレNEWS. 2018年9月28日閲覧。
- ^ “スーパー・ストロング・マシン選手が引退表明! 6月19日(火)後楽園ホール大会にて引退セレモニーが決定!”. 新日本プロレス (2018年4月12日). 2018年4月12日閲覧。
- ^ “Road to Invasion Attack 2014 〜井上亘引退記念大会〜”. 新日本プロレス. 2018年4月12日閲覧。
- ^ S・Sマシーン・ドン、S・S・マシーン・ジャスティス、S・S・マシーン・バッファロー、S・S・マシーン・エース、S・S・マシーン・No.69の5人組。各レスラーの正体は一応非公開であるが、リングネームや試合中のムーブから正体が明らかである上に、素顔がマスク越しに透けて見えるのが確認可能であった。
- ^ “スーパー・ストロング・マシーン引退試合で「マシーンは今日で消えます。ありがとうございました」”. スポーツ報知 (2018年6月20日). 2018年6月20日閲覧。
- ^ a b “スーパー・ストロング・マシン、引退セレモニーで告白「一つの理由は妻の死です」”. スポーツ報知 (2018年6月20日). 2018年6月20日閲覧。
- ^ a b “SSM、最後の最後に明かした引退理由は妻の逝去”. 日刊スポーツ : nikkansports.com (2018年6月20日). 2018年6月20日閲覧。
- ^ “SSマシン息子が「ストロングマシーン・J」でデビュー 同じ覆面レスラーで /デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2019年3月9日). 2019年3月10日閲覧。
- ^ “The Machines”. Online World of Wrestling. 2020年7月18日閲覧。
- ^ 新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「新日本と絶縁!! 新日本興行が選手引き抜き宣言」アサ芸プラス 2023年4月16日
- ^ 【蝶野正洋×前田日明 プロレス飯 Take out】前田日明編『ステーキハウス リベラ目黒』訪問!緊急事態宣言下で苦しむプロレス飲食店紹介企画第3弾
- ^ [1]
- ^ スーパー・ストロング・マシンが亡き妻への想いを叫び40年のプロレス生活に幕!駆けつけた旧友や仲間に囲まれ「私のプロレス人生に全く悔いはありません」
- ^ “【元漫才師の芸能界交友録】第27回 スーパー・ササダンゴ・マシン④ 神秘性欠くマスクマン/角田 龍平”. 労働新聞(労働新聞社) (2020年1月30日). 2023年10月9日閲覧。
- ^ 角田龍平著「ラジオと憲法」114頁(三才ブックス)
- ^ “棚橋&中邑両選手がTVCMに出演”. 新日本プロレスリング. 2017年11月30日閲覧。
スーパー・ストロング・マシーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:11 UTC 版)
「浦安鉄筋家族の登場人物」の記事における「スーパー・ストロング・マシーン」の解説
小鉄の好きなプロレスラーとして登場。小鉄がマシーンの引退にショックを受けているところに偶然通りかかり、ファンでいてくれたことにお礼を言うが、マスクをしていない素顔の状態であったため、小鉄にマシーン本人とは気付かれなかった。鬼豚毒象から小鉄たちを護る為に、マスクを被りマシーンとなって撃退する。ラストではマシーンの依頼により、小鉄たちがマシーン軍団を引き継ぐ形で物語が終わっている。
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スーパー・ストロング・マシーン
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「平田淳嗣」の記事における「スーパー・ストロング・マシーン」の解説
「マシーン軍団」から離れて活動するようになった以外は、外見上のデザインはほとんど変化が無かった。 2006年5月13日に行われた第1回WRESTLE LANDにて、久々にスーパー・ストロング・マシンとして試合を行った。今日でも会場人気は高く、「おまえは平田だろ〜」という野次が絶えない。これに対してS・S・マシーンは「誰が平田だ」とやり返す。永田裕志が率いる青義軍に加入してからは、マスクの色をメタリックブルーに改めた。 対戦相手が不甲斐無い試合をして負けると、試合後に「○○(対戦相手の名前)が、しょっぱい試合ですいません」と、対戦相手を揶揄するマイクパフォーマンスをした。 また2009年に放送された「アメトーーク」に取り上げられて以来再び注目を集めた。 2014年以後は試合に出場することがなく、2018年6月19日に引退試合は行わずにリングを去った。
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