ジュノー・ビーチ・タイムテーブル
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「ジュノー・ビーチ」の記事における「ジュノー・ビーチ・タイムテーブル」の解説
1944年, 6月4日 数千人の兵士が南イングランドの港へ向かい、船に乗船した。しかし、天候が悪化し、イギリス海峡の海は横切るには非常に荒れていた。アイゼンハワー将軍は侵攻を24時間延期した。 1944年, 6月5日 天候の回復を見て夜が過ぎると、アイゼンハワー将軍は連合国派遣軍最高司令部のチーフ気象学者のスタッグ大佐により、嵐が止むと連絡を受ける。 12:00 アイゼンハワー将軍は侵攻を命令。掃海艇がドイツ軍の機雷を取り除くために先に出発した。兵員輸送船と護衛艦隊は、ノルマンディの沿岸に同じ時刻に到着する様に、港から計画通りに出航を行った。 18:00 駆逐艦HMCS「アルゴンキン」、HMCS「スー」に護衛された武装商船HMCS「プリンス・ヘンリー」、HMCS「プリンス・ダヴィッド」を含むカナダの分遺隊は、ポーツマスの港を出港し、ジュノー・ビーチへ向かった。カナダの各船では、士官が部下に任務についての指示を与えていた。 カナダ軍はジュノー・ビーチを2つのグループに分け攻撃をした。マイク・セクター:西側に、ロイヤル・ウィニペグ・ライフルズ、カナディアン・スコティッシュ、レジャイナ・ライフルズから歩兵、第1フッサーズ(ロンドン、オンタリオ)から支援戦車で構成された部隊は、ソーユ川の河口にあるクールソーユと言う名の漁港を目標とした。ロイヤル・ウィニペグ・ライフルズは河の西の砂丘に上陸し、レジャイナ・ライフルズは海に面した町の建物が並ぶ河の東に上陸し、カナディアン・スコティッシュのC中隊は、ロイヤル・ウィニペグ・ライフルズの西のVauxに上陸した。 ナン・セクタ:ナン・セクタは2つに分けられた。小さな海辺の観光地であるベルニエール(Bernières)を占領するために、中央にクィーン・オウン・ライフルズが上陸し、ノース・ショア、ニュー・ブランズウィック連隊は、観光地であるサン・トーバンの占領を割り当てられた。フォート・ガリー・ホースからの機甲部隊は、両グループを支援し、レ・レジメント・デ・ラ・シャデーレ(キューベック)は予備に置かれた。 予備の旅団は、ストーモント、ダンダス・アンド・ガレンガリー・ハイランダーズ、ノース・ノヴァ・スコッティア・ハイランダー、カナダ・ハイランド軽歩兵、シェアブルッケ・フュージリア連隊の機甲兵力であり、ナン・セクターが片付いた後に上陸する、第2波として予定されていた。砲兵、重火器部隊、歩兵砲部隊、通信部隊、医療部隊等は支援部隊として全てのセクターの部隊に配備された。 1944年6月6日 01:00 カナダ軍の艦船が、海峡の真ん中に到着、厚い雲が夜を暗闇にし、船は強風と荒れた海と吹き付ける雨の中を進んで行った。イギリスでは、ドイツ軍の防御設備を破壊するための爆撃機や、空挺降下兵を乗せた輸送機、主要な端や道路や防御拠点を確保しドイツ軍の反撃を防ぐための兵士を乗せたグライダー等の航空機が離陸の準備を行なっていた。 RCAF(王立カナダ空軍、Royal Canadian Air Force)の第6爆撃グループのランカスター爆撃機は、爆撃機を護衛するためのRCAFのスピットファイヤー戦闘機に護衛をされた。約450人のカナダ兵が戦線後方にパラシュートやグライダーで降下を行なった。 03:30 輸送船のカナダ兵は朝食の配給を受けた。 04:00 輸送船上のカナダ兵は、RAFがドイツ軍の重砲を爆撃しているル・アーブル(Le Havre)あたりでの閃光を東に見た。西には、ドイツ軍によるユタ・ビーチとオマハ・ビーチを目指すアメリカの輸送船を狙った炎を見た。上空には、空挺降下兵を輸送した輸送機が任務を終了して帰還するのを見た。 04:30 全ての兵士は、輸送船のデッキに集合し、上陸用舟艇への搭乗の準備を行なった。 05:00 日の出。全ての艦船は任務を開始した。 06:00 船上の兵士たちは、フランスの沿岸を正面にダークグレーの線として見た。連合国の戦艦と巡洋艦は艦砲射撃を開始した。 06:10 駆逐艦と他の戦闘艦が接近して射撃を開始した。ジュノー・ビーチでは、ドイツ軍からの反撃は無かった。 06:30 : 輸送船は無線封止を解除した。 07:00 輸送船上の砲兵と戦車が海岸に向けて砲撃を開始した。ジュノー・ビーチでは、ドイツ軍から連合国の艦船への反撃が開始された。 07:30 大規模な支援砲撃が終了した。ドイツ軍は侵攻兵力への反撃を続けていた。上陸用舟艇は、海岸に向かって前進した。 07:45 上陸用舟艇が海岸に着き、最初の兵士たちと戦車が上陸した。 08:00 最初のカナダ軍の橋頭堡がレジャイナ.・ライフルズ連隊と第1フッサーズの戦車により、マイクセクターのクールソーユに作られた。海軍の艦砲射撃はドイツの砲兵をそのエリアから除去したが、近くのロイヤル・ウィニペグ・ライフルズ連隊は激しい砲撃に晒された。そこでは、海軍の砲撃はドイツの砲兵への攻撃を失敗し、多数の兵士が、海岸に到着することなく、海中で死亡した。ナン・セクターでは、ノース・ショアー連隊が激しいドイツ軍の砲撃の下、上陸を行った。 08:30 クイーン・オウン・ライフルズ連隊はナン・セクターに上陸し、満潮時も保持した。兵士は上陸した海岸からドイツ軍の砲兵の砲撃から隠れる障害物まで200ヤード近く走らなくてはならなかった。最初の中隊では僅かの人数しか生存しなかった。 10:00 カナダの兵は全ての海岸に上陸した。補充部隊は潮が満ちる中海岸に到着し始めた。カナディアン・スコティッシュ連隊はほとんど犠牲者を出さなかったが、レ・レジメント・デ・ラ・シャデーレの上陸用舟艇は機雷に引っかかり多数の死傷者を出し、岸まで泳ごうとして多数が死亡した。 10:30 ジュノー・ビーチのロッド・ケラー少将は、イギリスにいるクレーラー大将に「海岸堡を確保した。すぐに次の目標に向かう」と報告した。 12:00 全ての第3カナダ歩兵師団がジュノー・ビーチに上陸した。 18:00 ノース・ショア連隊はサン・トーバンを確保した。その数時間後、カナダ軍はクールソーユとBernieresを確保した。後に、ハイランド連隊は、コロンビエール・シュル・ソーユ(Colombiers-sur-Seulles)を確保し、第1フッサーズは、カーン・バイユー間のハイウェイの交差点まで海岸から15kmの目標まで到達した。その後の反撃で占領地域に対して部隊数が少ないため押し返されたが、D-Dayの計画した最終目標に到達したのは、第1フッサーズのC中隊だけであった。
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