イギリスのアートセラピー
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「アートセラピー」の記事における「イギリスのアートセラピー」の解説
イギリスのアートセラピスト、デビッド・エドワーズ(David Edwards)によれば、多くの、そしてしばしば矛盾するアートセラピーの定義は用語に始まる。最初に職業として登場したのは1940年代後半(ウォーラーとギルロイ/Waller and Gilroy, 1978)であった。 イギリスでは一般的に、芸術家のエイドリアン・ヒル(英語版)(Adrian Hill)が絵を描くことの治療への応用について説明するために、「アートセラピー」という用語を最初に使用した人物だと認識されている。結核から回復する間に、スケッチと絵画の治療効果を発見したヒルにとって、アートセラピーの価値は、指と同様に完全に心を没頭させることで、しばしば自己抑制的な患者の創造的なエネルギーを開放することにあった。(ヒル, 1948: 101–102)そしてヒルは、患者が「不運に対する強い防御を確立すること」が可能だと示唆した。(ヒル、1948:103)アートセラピーの誕生は、結核治療(T.B.)のサナトリウムにいた画家エイドリアン・ヒルが、芸術的活動を仲間の入院患者に勧めたことにさかのぼる。1945年に出版された彼の本「芸術と病」に書かれたように、彼は患者たちと共に芸術的な活動を始めた。 第二次世界大戦後、兵役から引退したばかりの芸術家エドワード・アダムソン(英語版)(1911-1996)は、イギリスの長期滞在精神病院でヒルの仕事を広めるために参加した。アダムソンは、1946年にサリーのNetherne病院を手始めに、1981年に引退するまで仕事を続けた。アダムソンは、オープン・アートスタジオを設立し、絵を描きに来る人々を受け入れた。精神病院にいる人々が社会から非常に阻害され、最小限の尊厳と自治または個人の財産で生きていた時代に於いて、急進的な行動だった。彼は35年間、一人で何百という人々と共に働き続けた。彼と彼の生涯のパートナーで協力者のジョン・ティムリン(John Timlin:b 1930)は、1984年に彼の仕事とアダムソンのコレクションについての本、”ヒーリングとしてのアート(Art as Healing)”を出版した。 イギリスのアートセラピーの複雑な歴史における彼の重要性は広く受け入れられ、 彼のキャリアが終わるまで彼の視点は、アートセラピーが進化する心理学的に動きのある時代と対峙しているようだった。彼にとって仕事は個人的なものであった。アダムソンは人々が回復するのを見た。彼の言葉を借りるならば、芸術を通して自己を表現することで”癒された”。重要だったのは、創作するという行為だった。いかに影響やゆがみを与えることなく、自己表現をするかが、アーティストとセラピストの主な関心事である。彼は”医療スタッフと患者の間のどこかに”彼自身がアーティストとして働けるスタジオのスペースを見つけた。コメントや批判をせず、彼は人々に絵を描かせたり、彫刻させたりすることで、”自由に表現する”ことを奨励した。彼は心理学的な解釈を嫌い、それを仕事上での”セラピストの自己投影だ”として退けた。そのような見解のために、新生のアートセラピーという職業から彼は好かれなかった。彼の仕事のスタイルは、ホーガンによって『不干渉主義者』と名付けられ、 その技術はおそらく現代のアートセラピーとして認識されているものではなかった。 彼は進歩的なスタジオで35年間、日々に行われたすべての仕事を保存し、約100,000の作品を集めた。そのうち100人以上による6000の作品はアダムソンコレクションとして現存する。(1997 年 ~ 2012年の間は南ロンドンのランベス病院(英語版)にあり、現在はいくつかの国際機関により将来の安全のために、ほとんどがウェルカムライブラリに移されている。)1947 年から1996 年に亡くなるまで、彼はコレクションから作品を国際的に展示した。 アダムソンはコレクションの展示が、大衆に精神疾患を持つ人々の創造性と人間性について学ばせると信じていた。”アダムソンは世論を変える方法として、彼らを社会から締め出した人々に作品を見せ、彼らの文化への重要な貢献を示し、社会的・文化的な干渉をした教育者だった。” これらの作品は常に臨床記録であるか、アウトサイダーアートであるかどうかにかかわらず、作成者の同意、機密性、能力、および意図についての問題があり、作品が示されるべきかどうかに関して議論がある。 ヒルとアダムソンと同じ頃、アメリカの心理学者マーガレット・ナウムブルグもまた彼女の仕事を説明するのに、「アートセラピー」という用語を使い始めた。ナウムブルグのアートセラピーのモデルに基づくメソッドは:“自発的な芸術表現による無意識の開放である。それは患者とセラピストの間の移転関係と、自由連想の奨励に根付いていて、精神分析の理論と密接な関係がある。治療は移動関係を深め、その象徴的なデザインに関する自己の解釈を得るには、患者自身のたゆまぬ努力にかかっている。創作されたイメージは、患者とセラピストの間の一種のコミュニケーションで、それらは記号的言語を構成している。”
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