アパルトヘイトの時代とは? わかりやすく解説

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アパルトヘイトの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 19:44 UTC 版)

南アフリカ共和国の歴史」の記事における「アパルトヘイトの時代」の解説

1948年国民党政権獲得しマラン首相に就任した。国民党政権獲得後1950年より人種差別政策実行移し始めた。この政策を、国民党人種ごとに分離して発展するのであるとして「分離」(アフリカーンス語アパルトヘイト)と称したそれまで差別法に加え異人種間の婚姻禁ずる雑婚禁止法1949年)、人種別居住を法制化した集団地域法1950年)や黒人身分証携帯義務付けパス法1952年)、交通機関公共施設人種別に分離した隔離施設留保法1953年)、人種別教育を行うバンツー教育法1953年)などが次々と法制化され、白人カラードインド人黒人の4人種社会すべての面で分断する政策実施された。さらに1951年国民党カラードから選挙権取り上げ法案可決司法がこれに対し激しく抵抗したものの、1956年には両院3分の2上の可決をもって最終的にカラード選挙権取り上げられた。これに対し黒人代表するアフリカ民族会議などは反対の声を上げたが、選挙権を持つ大多数白人はこれを歓迎し国民党以後1989年まで選挙勝利し続けた国民党政府のもと、政府権限急速に大きくなり、司法コントロール受け付けなくなった白人内での民主主義維持されアパルトヘイト反対を含む言論の自由認められいたものの、政府裁判なしで人々逮捕する権限や、集会禁止する権限出版物発行禁止にする権限出版物検閲する権限持ち南アフリカ警察国家的様相を呈した白人と黒人など他人種とは明確に線引きがなされ、熟練労働白人が、単純労働他人種が受け持ち、富を白人独占する構図完成したマラン1954年引退し後継首相となったヨハネス・ストレイダム1958年死去すると、ヘンドリック・フルウールト首相の座に就いた1959年にはバントゥー自治法が制定され国土白人地域87%)と黒人地域13%)とに分け黒人民族ごとのバントゥースタン属すこととした。人口大多数占め黒人には非常に小さくやせた僻地しか与えられず、白人国土重要な部分独占した。さらにパス法など各種差別法案強化しアパルトヘイトをさらに堅牢なものとした。これにより、フルウールトは「アパルトヘイトの建設者」とも呼ばれる。これには国際的な批判集中し1960年からは南アフリカオリンピックからも参加拒絶されるうになるイギリス連邦からも批判がくるようになると、フルウールトは1960年元首英国女王とする立憲君主制から大統領元首とする共和制への政体変更求めた国民投票実施ナタール州反対したものの、他の3州賛成により南アフリカ共和制移行し南アフリカ共和国成立翌年にはイギリス連邦脱退した。しかし、南アフリカ国是反共としており、西側諸国にとっては経済的に戦略的に重要な友好国であったため、経済制裁などはなされなかった。 このようなフルウールト政権対し未だ合法政党として活動続けていたアフリカ民族会議とパンアフリカニスト会議抗議集会計画1960年3月21日行われた集会軍隊発砲しシャープビル虐殺事件発生した。これにより両党は非合法化され、黒人活動家多く地下にもぐり、両党は武装闘争路線選択してテロ行ったものの、1962年にはネルソン・マンデラ逮捕され1963年にはヨハネスブルグ郊外リヴォニアウォルター・シスル残余活動家逮捕。彼らはロベン島刑務所へ送られ抵抗運動一時霧消した

※この「アパルトヘイトの時代」の解説は、「南アフリカ共和国の歴史」の解説の一部です。
「アパルトヘイトの時代」を含む「南アフリカ共和国の歴史」の記事については、「南アフリカ共和国の歴史」の概要を参照ください。

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