アパルトヘイトの本格化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 21:03 UTC 版)
1913年、アフリカ系住民の所有地を国土の9%に制限した原住民土地法(英語版)や、1918年のヨハネスブルグ市域の東西への拡大に伴い、ソウェト居住区もピンビルとオーランドの両地区に広がり、職を求めたアフリカ系住民の多くがソウェトに移住してきた。住宅不足がますます深刻化し、移住民の多くは空き地にバラッグ小屋を建ててスクウォッター(不法居住)を行った。 1944年にスクウォッター運動が組織化され、市当局も摘発や強制排除だけでは対応できなくなり、オーランド、モロカ、セントラル・ウエスタン・ジャバブに緊急キャンプを設置した。 1948年の国民議会選挙で、アフリカーナーが支持母体の国民党が勝利し、アパルトヘイトの本格化が始まった。アフリカ系住民の居住区を増加・集約させるために、強制移住を推し進めた。市当局も政府の意向に従い、ソウェトに新しい居住区を設定した。 1955年、都心部から追われた季節労働者を収容するための最初のホステルがデュベに造られた。 様々な部族が押し込められる形となった居住区では治安が急激に悪化。蜂起(後述)が発生した1976年頃には黒人同士による襲撃事件、殺人事件も相次ぎ、年間900人以上が死亡する状況となっていた。
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