アパルトヘイト以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:56 UTC 版)
「マンゴスツ・ブテレジ」の記事における「アパルトヘイト以後」の解説
新政府成立後もブテレジはズールーの自治を強硬に主張し続けたが、このころからブテレジとグッドウィル・ズウェリティニ王との関係が悪化しはじめた。1995年1月にはブテレジはクワズールー・ナタール伝統首長会議の議長に選出されたが王は反対を表明し、以後ズウェリティニ王はANCを支持することとなった。同年2月にはブテレジは議会からインカタの議員を引き上げさせ、5月にはブテレジがズールー人に蜂起を呼びかけるにまで至ったものの、以後やや状況は好転し、1996年に新憲法によって強制連立規定が解除され連立離脱が可能となった後も、インカタは連立への参加を続けた。しかし、旧トランスバール州などナタール州外でのインカタ支持は早期に縮小し、また1996年のクワズールー・ナタール州の地方選においては第一党とはなったものの、都市部ではANCに大敗を喫し、以後同党の退潮傾向は鮮明となった。2004年の総選挙後にインカタは連立を解消し、ブテレジも内相を辞任した。2019年1月20日、ブテレジはインカタ自由党の次期党首選に出馬しないことを表明し、党は第35回全国総会において彼の後継者としてVelenkosini Hlabisaを選出した。
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