玉作湯神社とは? わかりやすく解説

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玉作湯神社

玉作湯神社
たまつくり

鎮座地 島根県八束郡玉湯町大字玉造508

主祭神 櫛明玉神大名持神、少毘古那神

配祀神 同社ニ坐ス韓国伊太神社 五十猛神

アクセス
JR玉造温泉駅下車バス約7分。一畑バス玉造営業所下車県道大東線を約200m上る
 玉造温泉街のはずれ、出雲玉造跡。
この辺りは、古代玉作りが行われたところで、境内には上代各種玉類・玉磨砥など(国重文)が保管されている、砥石収蔵庫がある。
 ----玉作湯神社は、奈良時代『出雲国風土記』[天平5(733)]に記され古社で、式内社でもある。ご祭神は、玉作りの神の櫛明玉命国造り温泉療法神 大名持命(大国主命)、温泉守護の神 少彦名命、の3神。神社境内は、全域が国指定史跡で、花仙周辺では最古玉作り遺跡である。江戸時代には、隣接するお茶屋松江藩別荘)に、たびたび歴代藩主逗留があり、神社への崇敬も篤かった。明治以後天皇即位式典際し、ここで作られ瑪瑙(めのう)・碧玉(へきぎょく)製品献上された。 [境内看板より]
 古語拾遺に「櫛明玉命出雲玉作の祖也」云々とあり、神武天皇御即位時には命の御子孫命の御祈玉献じ践祚賀し奉り爾後毎歳玉を調物添えて貢献し給うたことが記され延喜式臨時祭の條に「出雲國より進む所に御富岐(みほき)玉六拾連、毎年十月以前意宇郡神戸玉作氏をして造り備へしめ使を遣して進上」とある。拝殿、流波風造の幣殿続いて大社造変態本殿建っている。境内雰囲気は、凛として重厚感がある。
 例祭十月十日夏祭り七月十五日。
 また、玉造温泉でも有名。ご祭神大名持命少彦名命当地温泉発見守護及び、温泉療法祖神として霊験著しい。

 左の写真は、境内の奥にある「大己貴命 湯山主之大神」、真玉の泉。常時きれいな清水湧出ており、美味しい御神水いただける
大己貴命 湯山主之大神
境内社
左から、素鵞神社同社座す
加羅神社素盞鳴尊
福徳神社大己貴神
澤玉神社猿田彦命
金刀比羅神社大物主神
稲荷神社宇賀魂命 お社の裏側のお稲荷さん
 稲荷神社の裏手に廻る山手斜面横穴掘られ陶器製の小さなお稲荷さん達が所狭しと並んでいました。耳など丸くなっているところを見るとかなり古いものの様子
よくよく見ると、その中には、巳さん(白蛇)も居たのでした。
 境内右手奥に鎮座の玉宮神社
大正四年に玉の宮からこちらへ奉遷された。玉作湯神社から、大東線を一人女神社方面へ少し行くと、道路右手下方に玉宮史跡がある。
玉宮神社玉祖命
玉宮史跡
内務大臣指定史跡保存
玉宮史跡(玉作湯神社社有地)

この地は、上代攻玉祖神櫛明玉命初め攻玉の業を起こされし地と云われ、古語拾遺にも「櫛明玉命出雲国玉作の祖なり」と見え、命を御祭神とする玉宮神社遺跡で、同社境内地及び附近玉の宮称する
 同社殿は、大正年玉湯神社境内奉遷されてより、現今旧跡を存す。社伝には、この地域櫛明玉命起業地にして、初め攻玉の業を起こし給うに始り、爾後攻玉部の工人集落をなして製玉の業を行われし処と伝えられ近くには大連塚と称し上古玉作連(むらじ)の祖を祀れる塚をも現存する
 此の地は、天正年中及び、万延元年両度洪水に玉宮川氾濫し地相著るしく麥動を来たせるも、往時にありては山に拠りたる平地ありて往居にも適当のであった伝えられている。附近丘陵には、製玉の原石たる水晶瑪瑙の類を蔵す上代において、これ等原石以って作られ勾玉初め各種玉類並びにその未製品及び玉磨砥、また上硝子(石+鬼)同坩堝土器多数この地域から発見されていることは、これ等上代玉作由緒を突証している。而して、この地域は我國史貴重な上代遺蹟として、大正十一年内務省告示第二七〇号をもって史跡保存地にしてされている。
昭和三十九年十二月一日
平成十年九月四日再記)  玉湯町




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