いじめ問題への波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:11 UTC 版)
「校内暴力」および「いじめ」も参照 人や物の価値を「明暗」のみで判断する風潮は学校でのいじめ問題を通じてエスカレートした。この時期は1970年代後半から1980年代前半にかけて中学校や高等学校で頻出していた教師への暴力事件(校内暴力)が教師側の対策や校則の厳格化などにより沈静化し、それに代わって友人や生徒間での内向きな暴力や悪ふざけが急増した。その矛先は、おとなしい生徒や下級生、果ては浮浪者といった弱者へも向けられた。1984年から1985年にかけて日本国内の教育現場では、いじめを苦に生徒が自殺する事件が多発したが、1986年2月には東京都内の中学生が教師も加わった悪ふざけの末に自殺する事件(中野富士見中学いじめ自殺事件)が発生し社会問題化した。 生徒間では「ノリの良さ」「ひょうきんさ」「不真面目さ」などが重要視され、集団になじめず同調性の低い生徒は「ネクラ」、教師への密告者は「チクリ」、真面目で物事に熱心に取り組む生徒は「ガリ勉」「マジ」などの烙印が押され、からかいや軽蔑、排斥の対象となった。からかいや暴力行為は、学級委員や徒競走の選手への故意の選出、プロレスごっこなど様々な形を借りて行われるもので、一見すると遊びの延長線上にある行為のように見える。そのため、からかう側の生徒は教師から現場を押さえられ咎めを受けても判を押したかのように「ふざけてやっているだけ」と、うそぶくのだった。 こうした傾向は1980年代にビートたけし、タモリ、島田紳助らが毒舌ぶりでメディアを賑わし、子供向けのお笑い番組では老人や女性などの弱者、容姿の劣る者を攻撃する内容が常態化、フジテレビジョンが「軽チャー路線」を掲げるなどの動きと軌を一にするものであり、当時は大人から子供まで「パロディとナンセンスがわからない者は論外」といった扱いを受けていた。評論家の井尻千男は自著の中で次のように記している。 私は、子供たちのあいだで、「ネアカ」「ネクラ」という言葉が流行り、「ネクラ」がいじめの標的になっているということが報告されるようになったとき、来るべきものが来ているな、と思った。その直感は単純なものである。つまり、ネアカは少しも面白くないパロディにもお追従笑いができるが、ネクラはそれができない。ただ、それだけのことである。ただ、それだけのことでも十分なのである。(中略)それが積み重なっていくと、その社会空間の掟と抵触してくる。その他若干の条件がそろえば、もう立派ないじめの対象になるだろう。 — 井尻千男 劇作家の山崎哲は1988年10月5日付けの『朝日新聞』のコラムにおいて、奈良県で発生したいじめられっ子の報復殺人事件について次のように記している。 子供に限らず、私たち大人もまた、自分はひょっとしたら「ネクラ」なんじゃないかとおびえ、他人にそう言われたりすると、まるで人生の資格を失ったかのように、うなだれたりしている。(中略)A君の同級生たちは、かれのことを「おとなしくて、無口で、恥ずかしがりや」と言っているが、少なくとも、わずか十数年前までは、そうした「ネクラ」な性質は、むしろ美質とみなされ、好意をもって迎えられていたはずなのだから。単に軽さや明るさを好む時代のせいなのか、それとも「ネクラ」に対する私たちのおびえには、もっと何かが隠されているのだろうか。 — 山崎哲
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