『仮面ライダー』関連
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『仮面ライダー』では、助監督の中で最初に監督に昇格した。東映生田スタジオ所長の内田有作は、実直な仕事ぶりを評価したことを昇格の理由に挙げており、「最も『仮面ライダー』を理解していた男」とも評している。ライターの高橋和光は、塚田がデビューした第46話の制作状況から急遽の起用だったのではないかと推測している。 『仮面ライダー』で監督に昇格した際に喜んで妻に報告したが、当時は妻の方が収入が高く、監督としての報酬額を聞いて相手にしなかった。塚田の長男は、このことが夫婦間に溝を生み、離婚へ至ったと証言している。 『仮面ライダー』で塚田が監督した第79話・第97話・第98話(最終話)は静岡県の浜松でロケが行われた。塚田は第79話ロケの際に地元の顔役と懇意になり、第97話・第98話での浜名湖ロケは塚田のたっての希望により実現したものである。 『仮面ライダーV3』で主演を務めた宮内洋は、塚田が宮内のこだわりを最も理解してくれた監督であると評している。塚田自身も生前のインタビューにて、『V3』第22話で宮内が炎の海から飛び出すワンカットの撮影に1日費やしたことを特に印象に残っていることとして挙げている。 第1作『仮面ライダー』から第5作『仮面ライダーストロンガー』まで第3作『仮面ライダーX』を除いて監督をした。 東映生田スタジオを離れた理由について、塚田は親しい人間に「子供向けではないフィルムを創りたい」という趣旨の言葉を告げており、生田時代の関係者とは最期まで音信を断っていた。しかし、晩年は『仮面ライダー』が自身にとって大切な作品であったと考えるようになり、仮面ライダーに憧れてテレビ業界に飛び込む青年を主人公とした『仮面ライダー同窓会』という草稿を遺している。
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『仮面ライダー』関連
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『仮面ライダー』の怪人役では枯れた金切り声が特徴とされ、多くの怪人役を演じたが、後年のインタビューでは「覚えているのは最初に演じたかまきり男だけ」と述べている。 かまきり男役では、台本にはうめき声ばかりで台詞が書かれておらず、「役者にやらせなくてもよいのではないか」とマネージャーに苦言を呈したという。アフレコでは、最初にフィルムを確認した際にしゃべっている箇所を黙って確認していたところスタッフに「なんで合わせてしゃべらないんだ」と怒られ、その後テストを行なうという段階で辻村はテストをやらなくても合わせられると食ってかかり、実際に1度で合わせスタッフを驚かせたという。辻村はこのことが音響に気に入られ出番が多くなったのだと推測している。 怪人役の声優のなかでは、峰恵研や沢りつおらは辻村とは声質が違ったが、槐柳二は声の印象が似ているため競争意識があったという。 『仮面ライダー』が放送されていたころ、甥に話しかけた際に「かまきり男の声だ!」と言われて怖がられたことがあり、「声色を変えていても、子供には分かるんですね」と語っている。また長男を幼稚園に送り迎えしていたころに、仮面ライダーごっこをしていたとおぼしき園児が「かまきり男」と言いながら飛びかかってきたため、かまきり男の声で応対したところ、園長から止めるようたしなめられている。
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『仮面ライダー (スカイライダー)』関連
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「村上弘明」の記事における「『仮面ライダー (スカイライダー)』関連」の解説
事務所から「仮面ライダー」シリーズの新作ドラマのオーディションの話をされたが、これまで特撮ヒーローなどは見たことがなかった。このため当初は『仮面ライダー (スカイライダー)』のオーディションには乗り気ではなかったが、事務所から新人なのだから勉強のつもりで受けるよう言われて参加した。 オーディションではバイクの免許が必須要件となっていたが、オーディションに参加した時点では免許を取得していなかった。バイクの試験になり、無免許で乗ったもののブレーキの掛け方がよく判らなくて飛び降り、石ノ森章太郎らのいる審査員席にバイクが突っ込んだという。村上はこれでダメかと思ったが、審査員はバイクについては撮影しながら少しずつ練習させることとして最終候補の5人にまで残ることができ、カメラテストへと進む。しかし、村上以外の4人は『スーパーロボット レッドバロン』で2枚目役としてレギュラーを務めていた加藤大樹をはじめ、『恐竜戦隊コセイドン』主演の大西徹也など経験者揃いでカメラテストの結果も素晴らしく、村上以外なら誰でも良しと報告されていたという。 撮影初日は緊張で眠れず遅刻した。 スカイライダーは空を飛ぶ仮面ライダーであることから、『スーパーマン』を意識したという。 当時としてはかなり大柄な部類だったため、用意できる衣装が体に合わず「衣装部泣かせ」と言われた。 スカイライダーのスーツアクターを務めた中屋敷哲也は同じ岩手県出身であり、自宅の遠かった村上は撮影所から近かった中屋敷宅によく泊まりに行くなど懇意にしていた。中屋敷の隣には殺陣師の岡田勝も住んでおり、中屋敷宅と岡田宅を行き来することもあったという。中屋敷宅から中屋敷の車で撮影所に向かう際、彼からは「主役を事故にあわせず送り届けなければならないから緊張する」との旨の言葉を受け、村上は番組を背負っている立場を自覚するようになったと述べている。 両親には大学を中退していたことを内緒にしていたうえ、「教職を取って田舎に帰る」と言っていたため、『仮面ライダー (スカイライダー)』へ出演していることが近所の人から伝わった際には、故郷に背を向けたという。 後年のインタビューでは、作品を振り返り、路線変更した後半よりも、独自色の強かった前半の方が好きであると述べている。別のインタビューでは、空を飛ぶ設定が最も印象に残っているとしつつも、ドラマに活かされてはいなかったとも述懐している。 後年、『仮面ライダー』での経験は自身のベースになっていると強く意識するようになり、自身の誇りであると述べている。
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