競争意識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 06:41 UTC 版)
「ミネアポリス・セントポール都市圏」の記事における「競争意識」の解説
ミネアポリス市とセントポール市は設立以来競い合ってきており、ある場合にはその努力が重なることもあった。セントポール市が1915年にセントポール大聖堂を完成させた後、ミネアポリス市は1926年に同じくらい装飾を施したセントメアリー・バシリカを建設して続いた。19世紀後半から20世紀初期、その競争意識が激しくなったので、片方の都市で活動した建築家が、他方の都市で営業を断られることもあった。1890年国勢調査では、互いの調査員を逮捕したり誘拐したりして、相手の市の数字が上回らないよう図ったことすらあった。 この競争意識が都市間の暴力事件になったこともあった。1923年、アメリカン・アソシエーションに加盟していた野球チーム、ミネアポリス・ミラーズとセントポール・セインツの試合で、それが発生した。1950年代の両市はメジャーリーグベースボールのフランチャイズを巡って競い合い、どちらも野球場を建設した。1960年半ばの数週間ではあるが、セントポールが夏時間を採用しなかったためにミネアポリスより1時間遅れたままのこともあった。 両都市の反目は1960年代末までにほとんど消えた。これには、1961年にアメリカンリーグのミネソタ・ツインズとナショナル・フットボール・リーグのミネソタ・バイキングスが州全体のチームとして作られ、以前のようにどちらかの市名を冠することがないようにしたことが大きかった。1961年以降ツインシティーズを本拠にするスポーツチームはミネソタを頭に冠するようになった。町の発展という視点では両市ともに独自の道を歩んでおり、ミネアポリス市にはアバンギャルドの建築ができ、セントポール市は新しい建物を古典的ビクトリア様式の中に溶け込むようにさせている。
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