μBTRON
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 09:21 UTC 版)
普及版などといった位置付けとして想定された、BTRONサブセットである。構想当初のコンピュータハードウェアの性能では、理想のBTRONの実装が可能なコンピュータはワークステーションクラスとなるので、一般家庭向けのBTRONといった位置付けもある。 (専用機ワープロのような)アプリケーション固定の専用機としたサブセットで、「コミュニケーション専用機」をコンセプトとしている。具体的な用途として「自分とのコミュニケーション(創作活動)」「他人とのコミュニケーション(ネット通信)」「機械とのコミュニケーション」(例えばデジカメのような、周辺機器とのデータ交換)を挙げている。 プログラムの追加ができない専用機に、機能を追加するキーとして、最後の周辺機器との連携を想定していた。この周辺機器を「電子文房具」と称した。この周辺機器との通信のため、リアルタイム性のある「μBTRONバス」(後述)の試作が行われている。なお、後に実現したBTRON搭載のPDAであるBrainPad TiPOに「電房具」の名を付けμBTRONとも呼んでいるが、専用機化のためのサブセット化はされておらず、μBTRONバスも実装していない。
※この「μBTRON」の解説は、「BTRON」の解説の一部です。
「μBTRON」を含む「BTRON」の記事については、「BTRON」の概要を参照ください。
μBTRON
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:21 UTC 版)
「TRONプロジェクト」の記事における「μBTRON」の解説
携帯情報端末(PDA)向けのBTRON。BTRONのサブプロジェクトで、BTRON3仕様をベースに、キーボード未搭載のハードウェアへの対応や、タッチペンへの対応など、モバイル向けの仕様を追加したもの。なお、μITRON4.0の仕様書ではこれを「μBTRON」と呼んでいるが、μBTRON仕様OSを開発したパーソナルメディア社では「携帯端末用BTRON」と呼んでいる。 セイコー電子工業(セイコーインスツルメント、SII)の販売する業務用PDA「TiPO」シリーズの3代目で、1996年10月発表(1997年2月リリース)の「BrainPad TiPO」への搭載を前提として策定された。SIIより依頼を受けてパーソナルメディア社がPDA用に開発したμBTRON3.0仕様OSの名称が『B-right』であり、TiPO用の「B-right」で動くマイクロスクリプト(BTRON用のスクリプト言語)はDOS/V用の「B-right/V」でも動く(つまり、「B-right/V」が搭載されたパソコンを「TiPO」の開発機として利用することができる)。 1996年当時の一般的なモバイル端末は、GUIベースのOSは実用的ではなく、SIIの業務用端末「BrainPad」シリーズもそれまではOSとしてMS-DOSを積んでいたが、「BrainPad TiPO」ではμBTRONベースのシステムを用いることで、当時の極めて貧弱なモバイル用ハードウェアにおいても実用的な解像度と稼働時間を維持しながらGUIのマルチウィンドウシステムを動かすことができた。「BrainPad TiPO」は1997年開催のなみはや国体の競技記録システムや博物館の案内システムなどの業務用で採用されたほか、1997年2月にはパーソナルメディア社から「電房具TiPO」として、SIIのOEM版が一般向けにも市販された。TiPOは単三アルカリ乾電池1本でハーフVGA(640x240)の解像度と50時間の連続稼働時間を誇りながら、NetFront Browser(ver 1.0)を搭載してインターネットの閲覧も可能であった。 しかし、業務用としてはともかく一般消費者用の機器としては、「パソコンと同等の機能を持ったPDA」と言うμBTRONおよびTiPOのコンセプトは、ビジネスマンを中心とする当時の携帯情報端末のユーザー層に受け入れられたとはいいがたい。当時の非力なモバイル端末に、パソコン(それも一般にほとんど普及していない「TRON作法」を採用したBTRON)のGUIをほとんどそのまま載せていることから、シングルタスクとシングルウインドウシステムを採用した同時期の他のモバイル端末と比べると、表示速度が遅く、「ビジネスのための情報ツール」としての使い勝手は、当時ヒットしていたPDAのシリーズであるザウルスやPalmなどと競合するには至らなかった。また、BTRONの特徴である文書の実身・化身機能を生かそうにも、文書を編集するためのキーボードが付いておらず、ソフトウェアキーボードを起動すると画面の大半を占有して文書が見えなくなった。そのため、「文書の編集ツール」という点でも、DOSと物理キーボードの搭載によって高速かつ強力な文書編集機能を持っていたモバイルギアなどと競合するには至らなかった。 TiPOは、このようなユーザーの声を聞きながらインターネットを通じたプログラムのアップデート(当時としては画期的)を繰り返し、1998年にはNetFront(ver 2.0)などを搭載した「TiPO Plus」にソフトウェアがバージョンアップして若干使い勝手が向上しつつも、1999年に販売を終了する。パーソナルメディア社が編纂した『マイクロスクリプト入門』によると、1998年12月の時点で、携帯端末用BTRONを搭載した機器は「TiPO」しか存在していないとのことで、PDAで広く採用されるようにBTRON仕様を拡張した物の、μBTRON仕様OSを搭載したPDAは結局「TiPO」が唯一の製品であったようだ。 携帯情報端末にBTRONのGUIをほとんどそのまま載せた「TiPO」は成功しなかったものの、1999年頃よりITRONを搭載したインターネット対応の携帯電話(2010年代においてはガラパゴスケータイと呼ばれている)が続々と登場し、家電や携帯電話にGUIを持ったTRONが搭載されるのが当然の時代になり、そのGUIの開発の大変さがTRONプロジェクトにおいて問題となった。BTRON3仕様OS「B-right」の制作に携わり、松下の手を離れてからのBTRONの開発の中心人物であった松為彰(当時はパーソナルメディア社TRON特別室室長)は、携帯電話などの小型端末からパソコンやFA機器などの大型端末までにおける、GUIの標準化を目指し、BTRON仕様をベースとするTRON-GUIプロジェクトを1999年に立ち上げた。
※この「μBTRON」の解説は、「TRONプロジェクト」の解説の一部です。
「μBTRON」を含む「TRONプロジェクト」の記事については、「TRONプロジェクト」の概要を参照ください。
- μBTRONのページへのリンク