木造大日如来坐像とは? わかりやすく解説

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木造大日如来坐像(多宝塔安置)

主名称: 木造大日如来坐像(多宝塔安置
指定番号 3480
枝番 00
指定年月日 1990.06.07(平成2.06.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内にアン梵字阿弥陀等の銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  石山寺多宝塔国宝)の本尊として壇上安置される金剛界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で頭体幹部は通して正中線矧ぐ左右二材より造り内刳り施し割首を行う。玉眼嵌入する。髻を別一材製(頭頂に丸〓立て)とし、両手それぞれ肩・臂・手首矧ぎ両足部および左右腰脇はそれぞれ横一材を矧付け垂髪遊離部および両肩上で七条分かれる末端それぞれ矧ぎ、正・背面の条帛末端と裙先を矧ぐ。像内は頭部除き、矧目を中心に布貼を施し全面黒漆塗とする(頭部内は素地)。表面は錆下地金泥塗(後補)とする。
 像内頭部には仏師快慶無位時代用いたアン梵字阿弥陀仏(「仏」にあたる箇所表面より耳孔貫通し現状は字がない)の名が記されている。像は高髻の形や顔立ち、耳の彫法などに快慶作例典型的特色をみせ、ことに張りの強い肉取りや意志的な表情脚部刻まれ太く変化のある衣文にはその初期の作風うかがわれるところから、彼が法橋位を得る建仁三年一二〇三)以前の製作とみて誤りなかろう。像内銘には円阿弥陀仏阿弥陀仏、金阿弥陀仏など快慶作例銘文にしばしばみられる人名あわせて認められる
 石山寺多宝塔鎌倉幕府の有力御家人であった中原親能妻室建立になると伝えられており、解体修理の際に部材より建久五年(一一九四)かとみられる年記発見されている。本像がその本来の本尊像である伝来には異伝もあるものの、作風からみた製作年代とは、さほど矛盾しない
 表面の錆下地金泥塗と光背台座は像内朱書銘にある元禄八年一六九五修理の際のものとみられ、これらの後補が惜しまれるものの、初期快慶充実した作風を示す一例として注目される

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 246
枝番 00
指定年月日 1906.09.06(明治39.09.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉
指定番号 272
枝番 00
指定年月日 1949.02.18(昭和24.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像〈/(三重塔安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(三重塔安置)〉
指定番号 311
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 弘安七年三月ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 平安
年代 1183
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 335
枝番 00
指定年月日 1920.04.15(大正9.04.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 375
枝番 00
指定年月日 1915.03.26(大正4.03.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 400
枝番 00
指定年月日 1913.08.20(大正2.08.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 401
枝番 00
指定年月日 1913.08.20(大正2.08.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 561
枝番 00
指定年月日 1909.09.21(明治42.09.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 579
枝番 00
指定年月日 1909.04.05(明治42.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 604
枝番 00
指定年月日 1908.04.23(明治41.04.23)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 10
枝番 00
指定年月日 1915.03.26(大正4.03.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 617
枝番 00
指定年月日 1912.02.08(明治45.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 702
枝番 00
指定年月日 1921.04.30(大正10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉
指定番号 730
枝番 00
指定年月日 1926.08.30(大正15.08.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 735
枝番 00
指定年月日 1926.04.19(大正15.04.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 761
枝番 00
指定年月日 1897.12.28(明治30.12.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 772
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈(伝元多宝塔本尊)/〉

主名称: 木造大日如来坐像〈(伝元多宝塔本尊)/〉
指定番号 915
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 933
枝番 00
指定年月日 1917.04.05(大正6.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 942
枝番 00
指定年月日 1927.07.21(昭和2.07.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1142
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代 1120
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 11
枝番 00
指定年月日 1929.04.06(昭和4.04.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈(伝運慶作)/〉

主名称: 木造大日如来坐像〈(伝運慶作)/〉
指定番号 1145
枝番 00
指定年月日 1899.08.01(明治32.08.01)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1180
枝番 00
指定年月日 1899.08.01(明治32.08.01)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1194
枝番 01
指定年月日 1914.08.25(大正3.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安室町
年代
検索年代
解説文: 平安室町時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1223
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造大日如来坐像〈/(所在地蔵堂)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(所在地蔵堂)〉
指定番号 1227
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1277
枝番 01
指定年月日 1922.04.13(大正11.04.13)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1282
枝番 00
指定年月日 1901.08.02(明治34.08.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1421
枝番 00
指定年月日 1900.04.07(明治33.04.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1644
枝番 00
指定年月日 1913.04.14(大正2.04.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(大日堂安置)〉
指定番号 1700
枝番 00
指定年月日 1919.04.12(大正8.04.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像(本堂安置)

主名称: 木造大日如来坐像(本堂安置
指定番号 77
枝番 00
指定年月日 1941.02.06(昭和16.02.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1732
枝番 00
指定年月日 1922.07.15(大正11.07.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈/(勧学院安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(勧学院安置)〉
指定番号 1771
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1796
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1800
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像〈胎蔵界/〉

主名称: 木造大日如来坐像〈胎蔵界/〉
指定番号 1830
枝番 00
指定年月日 1925.04.24(大正14.04.24)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1838
枝番 00
指定年月日 1917.04.05(大正6.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1932
枝番 00
指定年月日 1944.09.05(昭和19.09.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 1941
枝番 00
指定年月日 1902.07.31(明治35.07.31)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 2008
枝番 00
指定年月日 1913.08.20(大正2.08.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 2018
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 82
枝番 00
指定年月日 1949.02.18(昭和24.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(金剛界)

主名称: 木造大日如来坐像(金剛界
指定番号 2021
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(胎蔵界)

主名称: 木造大日如来坐像(胎蔵界
指定番号 2022
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3038
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(多宝塔安置)

主名称: 木造大日如来坐像(多宝塔安置
指定番号 3044
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(西塔安置)

主名称: 木造大日如来坐像(西塔安置
指定番号 3096
枝番 00
指定年月日 1959.12.18(昭和34.12.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(本堂安置)

主名称: 木造大日如来坐像(本堂安置
指定番号 3097
枝番 00
指定年月日 1959.12.18(昭和34.12.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造大日如来坐像(本堂安置)

主名称: 木造大日如来坐像(本堂安置
指定番号 3231
枝番 00
指定年月日 1967.06.15(昭和42.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像(本堂安置)

主名称: 木造大日如来坐像(本堂安置
指定番号 3243
枝番 00
指定年月日 1968.04.25(昭和43.04.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3255
枝番 00
指定年月日 1970.05.25(昭和45.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に康平年正(月)十日仏師僧平□の銘がある
員数 1躯
時代区分 平安
年代 1062
検索年代
解説文:  像内の墨書銘によって康平五年(一〇六二)に製作されたことがわかるが、惜しいことには願主および仏師名の部分は墨がうすれて判読し得ない一木造り金剛界大日如来像で、頭・躰部ともに太く、ゆったりとして安定感があるが、彫り口は全般に浅く、像におだやかな趣き加えて、よく時代特色示している。十一世中ごろ地方造像一面を示す好作例といえる
 なお、本像は有田市内の旧正善寺の仏堂安置され、同寺の本尊であった伝えるが、同寺が近年廃寺となったため、現在有田市となっている。

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3305
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  平安後期金剛界大日如来像で、寄木造漆箔の手法になる丈六の大作である。面貌体躯大方はこの頃通途温和な表現になるが、腹部強く引きしめ抑揚ある肉身弾力に富む両腕つくりなど、随所次代気分うかがわれる。木寄法は巨像制作にふさわしい合理的なもので、基本的には、久安四年(一一四八)に造られたと考えられる京都三千院阿弥陀如来像重文)と同様なつくりといえ、本像制作時期も、その辺におかれよう京都にはこの頃遺品数多いが、意外にこの像種のものは少なく、また大作である点からも見のがせない

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 87
枝番 00
指定年月日 1931.12.14(昭和6.12.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3428
枝番 00
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に文保二年、元徳三年建武二年、南都興福寺大仏師法眼康俊金剛仏子興尊等の銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1318
検索年代
解説文:  本寺金堂本尊として安置される胎蔵界たいぞうかい】の大日如来坐像である。
 材を用いた寄木造りの像で、表面サビ下地の上漆箔施し、目には玉眼嵌入している。頭・躰幹部の木寄せは、各数材を箱状に寄せるもので、頭部中心部をあけて四材を組み、これに面相部材などを寄せている。躰幹部は、正背面左右三材と躰側材を中心に組み上げ、さらに正背面に各正中二材の材を矧付けており、これに大略三材からなる両足部などの材を寄せている。
 像内は各部材とも丁寧に内刳り施されているが、そのほぼ全面わたって願文がんもん】や結縁交名けちえんきようみよう】、大日如来ほかの真言の類が記されている。特に後頭部には、作者である南都興福寺大佛師法眼康俊【こうしゆん】と子息康盛らの名前や文保二年五月年紀記されている。また左胸から腹部にかけては同年十二月年紀と共に金剛佛子興尊の名がみえる。興尊は、『豊後旧記』などに記される本寺中興開山西大寺僧幸尊と考えられ、本像造立願主にあたるかと思われる。なお、像内にはこのほか、元徳三年一三三一)と建武二年(一三三五)の年紀認められ光背台座などを含めた造像すべての完成までにはかなりの期間を要したとも考えられるが、少なくも本躰部に関しては、前記文保二年五月から十二月の間に造られたとみるのが妥当なところであろう
 興福寺大仏師あるいは、東寺大仏師、さらに運慶五代ないし六代の孫とも自称する作者康俊は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した当代代表する南都仏師である。その遺例は現在十数例が知られており、そのうち九州地方には本像の他、大分・永興寺四天王立像元亨元-二年銘一三二一-二)佐賀・竜田寺普賢延命菩薩騎象像(正中三年銘・一三二六)、宮崎大光寺騎獅文殊菩薩脇侍像(貞和年銘一三四八)の三件(いずれも重要文化財)が伝えられている。これらの像はいずれ等身大以下の像がほとんどであり、丈六大きさを誇る本像は、これを破綻なく見事にまとめ上げた康俊力量をうかがうに足る大作として貴重な存在である。
 なお、本寺中世西大寺中心とする真言律の寺であったことが知られるが、康俊遺品伝え永興竜田の両寺ともかつては西大寺末であり、本丈六像は、九州の西大寺寺院造像康俊が深い関わり有したことを新たに証する作例としても注目されよう。

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3435
枝番 00
指定年月日 1993.01.20(平成5.01.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に承元四年八月大仏師実慶作の銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1210
検索年代
解説文:  智拳印ちけんいん】を結ぶ通形の金剛界大日如来像である。材の寄木造、頭体幹部を通して正中線での左右二材矧【はぎ】とし、頭体部とも像内を丁寧に内刳【うちぐ】り、三道下で割首【わりくび】とし、玉眼嵌入する。髻は別材製。両手肩・上半ば手首矧ぐ両膝奥に三角材、両足部に横一材を矧ぐ。像底は周縁残し、地付より約七センチ高まで刳り底板刳り残した上底あげぞこ】式とする。表面は布貼、サビ下地漆箔仕上げ彩色は髪に青、髪際線に緑、元結紐および唇に赤、正面髪際のおくれ毛および髭に黒が残る。白毫銅製の臂釧・腕釧と表面漆箔過半を後補とし、また正・背面の条帛垂下部が亡失する。
 近年修理際し像内首〓に「承元四年(一二一〇八月廿八日大佛師實慶作」の墨書銘と、形に仕立てた織金錦【しよつきんにしき】の袋に納められ女性のものとみられる頭髪二束およびかつら一束発見された。実慶は寿永二年(一一八三)のいわゆる運慶願経国宝上野家)に結縁者として名を連ね、また本寺ほど近い函南町桑原区・阿弥陀三尊像本年六月重文指定)の作者でもあることがその像内銘によって知られる。本像の引き締まった男性的な面貌分厚く肉付けされた体躯や力強い両腕構えなどは、静岡願成就院神奈川浄楽寺運慶作の諸像(ともに重文)などと共通するところがあり、東国における鎌倉前期慶派仏師年代明らかな基準作例としての意義大きい。
 像内に納入され頭髪の主の名を知る直接の手がかりはないが、中国南宋よりの舶載とみられる織金錦が高貴女性所持するにふさわしい品であることを思えば、この修禅寺幽閉暗殺され源頼家の室で、本像造立一月あまり前の七月八日落飾した辻殿のものである可能性考えられる口絵解説参照)。

木造大日如来坐像〈康珍作/講堂安置〉

主名称: 木造大日如来坐像〈康珍作/講堂安置
指定番号 3440
枝番 00
指定年月日 1993.06.10(平成5.06.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に明応二年十一月廿七日大仏師法眼康珍等の銘がある
員数 1躯
時代区分 室町
年代 1497/附 江戸
検索年代
解説文:  本像は東寺講堂本尊丈六金剛界大日如来像である。講堂諸尊像は承和六年(八三九)に開眼供養されたが、大日如来像は文明十八年(一四八六)の土一揆による火災焼失し明応二年(一四九三)から同六年にかけて再興された。作者は「大仏師正統系図諸本によれば七条仏所正系仏師、康珍である。
 材の寄木造で、漆箔仕上げとし、玉眼嵌入する。頭体は別材よりなり、頭部は四材ないし六材、体幹部は九材をそれぞれ箱形堅固に組み合わせ両足部も同様に七材を寄せて造る。像内の構造材等が後補となるが、保存状態良好である。光背二重円相光で周縁部宝塔および金剛界三十七尊を取り付け台座蓮華八重座で、これらも大略明応再建時の姿をとどめるとみられる
 頭部過大なプロポーション背中丸めた構え、実人的な顔付やうねりの強い衣文などに時代特色がよくでており、室町時代代表する記念碑的大作といえる光背化仏中の一体は平安創建当初のものとみられ、創建当初大日如来像の作風をしのぶよすがとなろう
 本尊周囲配される四仏は、阿弥陀如来像頭部平安後期のものであるほかは江戸時代の製作である。

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3447
枝番 01
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に応永十一四月尊秀大法師等の銘がある/(大伝法堂安置
員数 1躯
時代区分 室町
年代 大日如来 1404 金剛薩〓 1405
検索年代
解説文:  大伝法堂安置される三尊像で、金剛界大日如来左右に金剛薩〓、尊勝仏頂配する構成になる。本寺前身である高野山大伝法院にこの組み合わせ三尊像が安置されていたことが知られこうした尊像構成は同院を開いた覚鑁かくばん】(一〇九五一一四三)の創案になるとみられる大日如来と金剛薩〓像の像内に銘があり、これらがおよそ嘉慶元年一三八七)から応永十二年(一四〇五)頃にかけて造像されたことが判る尊勝仏頂像も他二像と大略同様の作風・形制を示し、同じ頃の製作であろう
 室町時代彫刻として、総じて表現形式化認められるものの、髪際高で丈六という巨大な像容破綻なくまとめた作者の手腕を賞すべきであろう作者の名を伝え史料はないが、三尊像製作中明徳二年(一三九一)に本寺弘法大師像を造立した三条仏師円かあるいは同門仏師想定することができるだろう。
 平安後期真言密教高僧教義による特殊な三尊像の唯一の遺品であり、豊臣秀吉根来攻め戦禍免れ今日まで伝えられてきた意義少なくない図版二〇ページ参照)。

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 3469
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に永仁四年九月大仏師法眼定運等の朱書銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1296
検索年代
解説文:  高髻結い法界定印結んで坐る等身胎蔵界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で、頭・体幹部を通して両耳後を通る線で矧ぐ前後二材より彫成し、各内刳施して三道やや下で割首を行う。両眼玉眼とする。両肩・臂・手首で各矧ぎ両手先は通して一材製とする。両足部は横一材製、両膝奥は側面二段および上面の計三材を矧ぐ。髻(三材製)、正・背面の条帛垂下部に各別材を矧ぐ表面は錆下地黒漆塗、白下地のうえ肉身部は金泥塗、衣部は盛上文様をまじえた彩色施している。
 像内に永仁四年(一二九六)の年記と、大仏師法眼定運【ほうげんよううん】をはじめ卿定弁法橋、康意、三河法橋定盛の四人仏師の名が記されており、造像年代作者知られる仏師のうち定弁、定盛の二名に関して正和三年一三一四)に岐阜長瀧寺釈迦如来四天王像現存せず)の造立携わったことが記録(『長瀧寺真鑑』ほか)により知られ、それらの像を彼らとともに造った慶誉という仏師弘安四年(一二八一)の長谷寺本尊像再興慶派正系の湛康、慶秀らとともに参加していることからすれば、定運らもまた慶派属す仏師とみてよいであろう。像底を上げ底式に刳り残す構造にもこの派の特徴うかがえる
 その作風鎌倉時代盛期過ぎたこの時代遺品らしくやや弛緩した感も否めないが、肉付きのよい体躯象形や太い衣文線には運慶風の名残り認められ当代慶派基準作例として推賞することができよう
 ことに注目されるのは、頭体とも前半材では金箔後半材では銀箔それぞれ内刳面に押す像内の仕上げ法である。像内漆箔院政期始まり鎌倉時代にもしばしば行われた手法であるが、本像と同様の例知られていない当代の像内荘厳ありよう考えるうえで貴重な事例いえよう。また像内より口腔穿って口唇わずかな隙間貫通させる仕口特徴的で、密教観想法との関連想像される一方、この時代造られるようになったいわゆる歯吹阿弥陀像などにも通じるところがある。
 銘文は像内漆箔面のほぼ全面にわたり朱書され、造像関係者各種偈文諸尊種子などが記される宝満寺文永三年一二六六)に無本覚心法燈国師)により禅刹改められたと伝えられるが、和歌山興国寺法燈国師像(重文)がやはり像内頭部前面金箔後面銀箔押とし、そこに朱書銘を記すことが注目される真言密教にも深い造詣有した覚心が本像の製作に関与していた可能性は十分考えられよう。
 附指定四点はいずれも像内より取り出されたと伝えられる金剛界大日如来の小像は台座底面輪郭が、本体の像内胸部設えられた蓮台の上面にある痕跡一致する舎利注文八人交名それぞれの喜捨した舎利の粒数が記される。また般若理趣経金剛界礼懺は本像の大勧進として銘文記される吽日が弘安三年一二八〇)に書写したものである。いずれも本像の関連資料として逸することのできない品々である。

木造大日如来坐像〈運慶作/〉

主名称: 木造大日如来坐像〈運慶作/〉
指定番号 119
枝番 00
指定年月日 1920.04.15(大正9.04.15)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書 台座安元元年十一月、同二年十月大仏師康慶実弟運慶等の銘がある
員数 1躯
時代区分 平安
年代 1176
検索年代
解説文:  本像は大正九年旧国宝に指定され運慶現存する最初遺作として既に著名な作品である。
 智拳印を結ぶ金剛界大日如来像で、材の寄木造玉眼嵌入漆箔仕上げになる。頭体幹部は正中矧【はぎ】、内刳うちぐりの上、割首【わりくび】とし、両足部横一材、両大腿部奥各一材を矧付け両腕は肩、上膊半ば、臂、手首で各矧ぐ。髻、裳先(現状亡失)、耳にかかる鬢【びん】髪および肩上にかかる垂髪を別材製とし、また条帛は肉身の上から数材を貼付けて彫成していることがエックス線透過写真によって判る。像内は肉を厚く残して表面平滑に浚【さら】い、腰より上は墨塗、腰以下は黒漆塗とする。銅製装身具をつけるが、宝冠および瓔珞ようらく】の一部が後補となる。光背二重円相部と光脚、台座蓮肉および蓮弁過半造像当初のものである
 台座蓮肉天板内刳面に「運慶承 安元元十一月廿四日始之/(中略)/奉渡安元貳〓〈丙/申〉十月十九日大佛師康慶實弟運慶/(花押)」という墨書があり、運慶が父である康慶指導のもとに約一一か月かけて製作したことが判る若年の作ながら、その彫技はすでにほぼ完璧の域に達しみずみずしい像容みごとに表されている。鎌倉彫刻の成立において、画期的な意義をもつ作品として評価される挿図写真口絵参照)。

木造大日如来坐像〈/(奥ノ院堂安置)〉

主名称: 木造大日如来坐像〈/(奥ノ院堂安置)〉
指定番号 200
枝番 00
指定年月日 1906.04.14(明治39.04.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造大日如来坐像

主名称: 木造大日如来坐像
指定番号 229
枝番 00
指定年月日 1901.08.02(明治34.08.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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木造大日如来坐像(重要文化財)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 09:30 UTC 版)

妙楽寺 (千葉県睦沢町)」の記事における「木造大日如来坐像(重要文化財)」の解説

当寺本尊平安時代後期の作で、カヤ材の一木造座高2.8mで、千葉県内の彫刻坐像としては最も大きく東日本においても有数大きさをもつ。全体的にふくよかで、太い腕や厚い胸、堂々たる重量感には東国武士好まれた力強い表現がみられ、流麗な衣は平安時代後期中央様式特徴残している。

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木造大日如来坐像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:00 UTC 版)

観音寺 (河内長野市)」の記事における「木造大日如来坐像」の解説

材質ヒノキ寄木造像高147.6cm。光背台座当時のまま現存光背二重円光周囲火焔包んでいる。台座七重蓮華からなる製作手法様式から平安時代後期の作とされる1968年 (昭和43年) 4月25日重要文化財指定された。

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木造大日如来坐像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:45 UTC 版)

西方寺 (郡山市)」の記事における「木造大日如来坐像」の解説

県指定重要文化財像高60cmの寄木造りで、目には水晶がはめ込まれ漆箔仏像鎌倉時代の作と考えられる

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木造地蔵菩薩立像重要文化財。鎌倉時代。像高89.8センチ。もと東大寺の勧進所公慶堂に安置されていた像。勧進所八幡殿の僧形八幡神坐像、俊乗堂の阿弥陀如来立像とともに、東大寺に伝わる快慶作の仏像の一つである。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ、通形の地蔵像である。右足を軽く踏み出し、それに伴って衣の文様に変化が生じている。像表面の彩色、截金文様、銅製の装身具などは当初のもの。構造は、彩色が厚く残っているために詳細は不明だが、頭体部を一材から彫成し、前後に割り矧いでいると推定される。光背は亡失している。台座は蓮華座の部分は他の仏像からの転用、その周囲に張り付けた雲形の部分は後補である。右足枘に「巧匠法橋快慶」の刻銘がある。快慶が法橋の僧位に任じられたのは建仁3年、法眼に昇任したのが承元2年から4年の間であり、本像はこの間の作である。快慶の作品は多数現存するが、法橋時代の作品で現存するものは本像以外には他に1体しかない。快慶の円熟期を代表する作品である。木造聖観音立像

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