かいけい〔クワイケイ〕【快慶】
快慶 (かいけい)
かいけい 【快慶】
快慶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 04:55 UTC 版)
快慶(かいけい、生没年不詳)は、鎌倉時代に活動した仏師。運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人である。この流派の仏師は多く名前に慶の字を用いるところから慶派と呼ばれる。快慶は安阿弥陀仏とも称し、その理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も多い。
- ^ 「丹波の正倉院」こと達身寺(兵庫県丹波市)との関係を指摘する意見がある。同時代の未完成仏像を多数所蔵する同寺は、仏像工房かつ仏師の養成所だったと考えられている。達身寺#丹波仏師
- ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』489号、第一法規、2004、pp.22 - 23
- ^ 近年判明したものを除き、『運慶・快慶とその弟子』(特別展図録)、p.175による。銘記については『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記編 総目録』による。
- ^ 東京国立博物館ほか編 『ボストン美術館 日本美術の至宝』展図録、2012年、76-77,242頁。
- ^ この像内銘は後世に書き直されたものだが、像の制作は1200年頃とみられる(『運慶・快慶とその弟子たち』による)
- ^ 熱海市伊豆山浜生活協同組合所有(伊豆山郷土資料館保管)の菩薩像2躯は本像の脇侍であったものと推定される。
- ^ a b 興福寺が所蔵する明治39年(1906年)撮影の古写真2枚には、かつて興福寺の所蔵であった多数の仏像が写っている。2018年、奈良国立博物館学芸部でこれらの古写真の高精細画像を作成して分析したところ、従来は不明であった多くの仏像の移動先が判明した。(参照:山口隆介・宮崎幹子「明治時代の興福寺における仏像の移動と現所在地について - 興福寺所蔵の古写真をもちいた史料学的研究 - 」『MUSEUM』676、東京国立博物館、2018)
- ^ a b 2012年4月21日付紀伊民報
- ^ 「ア」は梵字、「弥」は「方+尓」の異体字
- ^ 金剛院深沙大将立像の像内や八葉蓮華寺阿弥陀如来立像の納入書状にも「ア阿弥陀仏」とある。
- ^ a b 「新指定の文化財」『月刊文化財』585号、2012
- ^ 友鳴利英 「金剛峯寺執金剛神・深沙大将立像と快慶の造形 --銘記発見報告と作風理解を中心に--」(佛教藝術學會編 『佛教藝術』323号、毎日新聞社、2012年7月)ISBN 978-4-620-90333-0。
- ^ 「特別展快慶」(奈良国立博物館サイト)
- ^ 「企画展 阿弥陀さま 極楽浄土への誓い」大津市歴史博物館
- ^ 『運慶・快慶とその弟子たち』(展覧会図録、奈良国立博物館、1994)は、本像の台座は室町時代の後補であり、台座に記された快慶の銘記も当初のものではないが、醍醐寺の不動明王坐像(快慶作)と作風が近いことから、本像も快慶作である可能性が高い、としている(同図録pp.141 - 142)
- ^ 山本勉2019年5月26日のツイート
- ^ 知恩寺サイト
- ^ 2011年12月2日付産経新聞
- ^ “水晶の中に阿弥陀像 快慶の工房の作品? 醍醐寺で発見:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2018年12月22日閲覧。
- ^ 快慶の阿弥陀如来立像か 埼玉・熊谷の東善寺で発見 産経新聞 2019年2月25日
- ^ やっぱり快慶作の仏像の可能性 胎内に巻物も 愛知 朝日新聞 2019年5月21日
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