ぜんこう‐じ〔ゼンクワウ‐〕【善光寺】
善光寺
善光寺
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善光寺
善光寺
姓 | 読み方 |
---|---|
善光寺 | ぜんこうじ |
善光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 12:11 UTC 版)
善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である[2](開帳は前立本尊で行う[3])。
注釈
出典
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善光寺(ぜんこうじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 02:17 UTC 版)
「曽根町 (新潟県)」の記事における「善光寺(ぜんこうじ)」の解説
1889年(明治22年)まであった善光寺村の区域。現在の新潟市西蒲区善光寺。
※この「善光寺(ぜんこうじ)」の解説は、「曽根町 (新潟県)」の解説の一部です。
「善光寺(ぜんこうじ)」を含む「曽根町 (新潟県)」の記事については、「曽根町 (新潟県)」の概要を参照ください。
善光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)
善光寺は、7世紀後半の建立と推定されるが、本尊である善光寺式阿弥陀三尊について『善光寺縁起』は、太子が祀ろうとした仏像を本田善光が信濃に持ち帰り建立したと伝える。この伝承は善光寺聖の遊行によって全国に広められ、鎌倉時代から近世にかけて善光寺は太子信仰の霊場として機能し、全国に善光寺信仰を広める役割を果たした。ただし、この伝承は元永元年(1118年)に善光寺別当となった聖厳が四天王寺権別当を兼任していた影響、もしくは両寺の念仏僧の交流によって創作されたものと考えられる。往時には存在した太子堂は失われており、現在は太子信仰の影響を見ることはできない。
※この「善光寺」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「善光寺」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。
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