造像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:27 UTC 版)
日本での弁才天信仰は既に奈良時代に始まっており、東大寺法華堂(三月堂)安置の8臂の立像(塑像)は、破損甚大ながら、日本最古の尊像として貴重である。その後、平安時代には弁才天の作例はほとんど知られず、鎌倉時代の作例もごく少数である。 京都市・白雲神社の弁才天像(2臂の坐像)は、胎蔵曼荼羅に見えるのと同じく菩薩形で、琵琶を演奏する形の珍しい像である。この像は琵琶の名手として知られた太政大臣・藤原師長が信仰していた像と言われ、様式的にも鎌倉時代初期のもので、日本における2臂弁才天の最古例と見なされている。同時代の作例としては他に大阪府・高貴寺像(2臂坐像)や、文永3年(1266年)の銘がある鎌倉市・鶴岡八幡宮像(2臂坐像)が知られる。近世以降の作例は、8臂の坐像、2臂の琵琶弾奏像共に多く見られる。
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造像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 07:34 UTC 版)
日本における阿閦如来の彫像は、五仏(五智如来)の一尊として造像されたものが大部分であり、阿閦如来単独の造像や信仰は稀である。重要文化財指定品で阿閦如来と称されているものには、奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像がある。 空海が開創した高野山金剛峯寺金堂(旧堂は1926年に焼失)の本尊は阿閦如来と伝承されていたが、薬師如来とする説もあり、さらには阿閦と薬師は同体であるとする説もあった。同像は古来から完全な秘仏であったことに加え、1926年の火災で焼失してしまったため、その像容は不明である。
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品詞の分類
名詞およびサ変動詞(加工) | 造作 創造 造像 成造 塗装 |
名詞およびサ変動詞(作る) | 細工 入れ墨 造像 合作 製図 |
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