しん‐ぱん【新版/新板】
新版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:55 UTC 版)
物語西遊記 宝文館出版 1981 夢声の動物記 六興出版 1983 徳川夢声の問答有用 全3冊 朝日文庫 1984問答有用 徳川夢声の世界 全3冊 深夜叢書社 1994-1996。齋藤愼爾編 問答有用 徳川夢声対談集 ちくま文庫 2010 ISBN 4480427694。阿川佐和子編・解説(朝日文庫版から抜粋) 私だけが知っている:幻のNHK名番組 第1・2集 共著 光文社文庫 1993 夢声の動物記 ちくま文庫 1996 話術 白揚社 新装版 1996、2003 / 新潮文庫 2018 ISBN 4101213615 徳川夢声-放送話術二十七年 日本図書センター〈人間の記録〉1998 ISBN 4820543164 夢声半代記―伝記・徳川夢声 大空社〈伝記叢書〉1998。復刻版 夢声戦争日記 抄-敗戦の記 中公文庫 2001 ISBN 4122039215(新版刊)。1945年4月1日〜8月30日分の日記を収録 夢声戦中日記 中公文庫 2015 ISBN 4122061547。姉妹編:濱田研吾編・解説、1941年12月8日〜1945年3月31日分から抜粋収録 いろは交友録 ネット武蔵野 2003 ISBN 4944237901 徳川夢声の小説と漫談これ一冊で 清流出版 2009 ISBN 4860293010。CD付録 徳川夢声のあかるみ十五年 清流出版 2010 ISBN 4860293436 徳川夢声のくらがり二十年 清流出版 2010 ISBN 4860293428 吉川英治 宮本武蔵(朗読CD)新潮社全20巻 2002 / 新版全7集 2006
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『マンガ大嫌韓流』晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2015年3月19日。ISBN 978-4-8018-0174-5。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 09:02 UTC 版)
「私」は、遠戚の少女シモーヌが猫にやるための牛乳の入った皿に尻をつけるところを見せつけられたことをきっかけに、奇妙な性的関係をもった。ある日、シモーヌと同じ町に住む少女マルセルが二人の戯れを見てしまうが、逆にシモーヌによってその遊びに巻きこまれた。その後、シモーヌはマルセルをパーティーに呼び、パーティーの参加者である同年代の少年少女たちにシャンパンをふるまった。そこでマルセルはシモーヌの淫らな姿に触発され、ノルマンディ製の衣装ダンスの中で自慰をし、その際失禁してしまう。乱痴気騒ぎの中、「私」はシモーヌの異変に気付いて衣装ダンスを開けるが、親たちが駆け付けたせいでマルセルは発狂してしまい、結果として彼女は精神病院に入院させられた。 精神病院に「私」と侵入したシモーヌは、マルセルと互いの自慰を遠くから見せ合った。その後、シモーヌと「私」は卵を使った遊びを始めた。「私」は「放尿する」という言葉から何を連想するのかシモーヌに尋ねると、彼女は「抉りだす」と答え、目や赤いもの、太陽をカミソリで抉り出すと答えた。さらに彼女は卵は子牛の目玉のようで、卵の形は目玉と同じであると話し、言葉遊びを続けた。シモーヌと「私」は、マルセルを入院先の精神病院からシモーヌの自宅へ連れ出した。そのさいマルセルから枢密卿から自分を守るように尋ねられる。「私」が枢密卿は誰を指すのか尋ねると、マルセルは「自分を衣装ダンスに閉じ込めた、ギロチン係のお坊さん」と答えた。「私」は衣装ダンス事件の際、赤いパーティー用の三角帽子をかぶり、けが人と性交したせいで血だらけになっていた自分の姿を枢密卿と同一視していることに気付て不安を覚えた。「私」の不安は的中し、マルセルはノルマンディ製の衣装ダンスを見て発狂した時の状況を思い出してしまい、衣装ダンスの中で首つり自殺をした。いらだちのあまりシモーヌはマルセルの遺体に放尿し、それ以来シモーヌは精神的に不安定になった。 その後、「私」とシモーヌの二人は、シモーヌを愛人としてスペインに連れ帰ろうとしたイギリス人エドモンド卿とともにスペインへ逃走した。エドモンド卿は娼婦を巻き込んだ淫らな遊びを二人にさせてくれたが、シモーヌは闘牛の方を気に入っていた。エドモンド卿から「闘牛士たちは最初に死んだ牛の金玉を網焼きにしてもらい、それを食べながら次の牛が殺される様子を観客席で見る」という話を聞いたシモーヌは、生の牡牛の金玉が欲しいとエドモンド卿に頼み込んで手に入れた。花形闘牛士グラネロの試合中、シモーヌは一つの金玉をかじり、もう一つの金玉をあらわにした自らの陰部に入れた。グラネロは牛に突かれて死に、右目がだらりと垂れていた。その後、エドモンド卿はドン・ファンの眠る教会へ「私」とシモーヌを連れて行った。シモーヌはドン・アミナド司祭の目の前で自らの陰部をさすり、告解室のドアを開けて、司祭の陰茎を口に含み、彼の上にまたがって放尿し、「私」は彼女の尻に顔を突っ込んだ。様子を見ていたエドモンド卿は聖櫃のカギを見つけ、聖体入れと聖杯を持ってきた。シモーヌは聖体であるパンは精液のにおいがするといい、エドモンド卿は聖杯に入れるワインは白ワインでそれが小便を表すからだと答えた。シモーヌは聖杯で司祭を殴り、彼の陰茎に吸い付きながら、聖杯を彼の尿で満たしてから飲ませ、聖杯を壁に投げつけ、精液をパンで受け止めた。エドモンド卿はシモーヌと性交するように命じたが、司祭は「私たちは絞首刑にされるだろう、だがお前たちの方が最初に刑に処される」と怒りをあらわにした。エドモンド卿はひるむことなく司祭を投げ飛ばし、「男性は首をくくられたとき、激しく勃起して射精する」という話をした。シモーヌはエドモンド卿に命じられ、司祭の上に馬乗りになると、司祭の陰茎を自らの女陰に入れながら首を絞めていった。シモーヌが司祭の死体に寄って来たハエを追い払おうとしたとき、ハエが眼球の上に止まろうとして滑るようすが目に入り、エドモンド卿に眼球が欲しいと頼んだ。エドモンド卿は財布からはさみを出して目玉を切り離し、シモーヌにあげた。彼女は目玉を自らの身体の上で転がし、「私」と性交している間は、エドモンド卿が二人の身体の間で眼球を転がした。射精したとき、「私」はシモーヌの女陰の中の眼球がマルセルのもののように見えた。その後、三人は変装を繰り返しながらスペイン中を移動して回った末、エドモンド卿がジブラルタルで購入したヨットに乗ってスペインを去った。 成人を過ぎたころ、「私」はこの物語で司祭が死ぬ場面を書いている途中で、実際にあった闘牛の死亡事故を思い出し、闘牛士が死ぬ場面を書いていたときに、司祭が目玉を引き抜かれる場面とほぼ同じことが実際の事故であったことに気付く。「私」は友人である医者に闘牛の場面を読み聞かせ、解剖学概論を見せてもらい、動物の睾丸も人間の睾丸も卵型をしており、ともに眼球のような色彩と形状をしていることを知る。そして、「私」は、厳格な父が梅毒を患った末に発狂し、母が「私」との喧嘩の末に精神不調に陥り自殺未遂をしたという過去が、この物語を書くきっかけにとなったとしめくくった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 02:19 UTC 版)
H. A. R. Gibb et al. eds, Encyclopædia of Islām, new ed., 12 vols. with Indexs and etc., Leiden: E. J. Brill, 1960 - 2009.(英語版。各巻細目は以下の通り。それぞれ分冊で発行されているが、出版年は巻としての出版年を示す)Vol. Ⅰ, A-B, H.A.R. Gibb, J.H. Kramers, E. Lévi-Provençal, J. Schacht (pp. 1-320); B. Lewis, Ch. Pellat, J. Schacht (pp. 321-1359) eds., 1960. ISBN 9004081143 Vol. Ⅱ, C-G, B. Lewis, Ch. Pellat, J. Schacht eds., 1965. ISBN 9004070265 Vol. Ⅲ, H-Iram, B. Lewis, V.L. Ménage, Ch. Pellat, J. Schacht eds., 1979. ISBN 9004081186 Vol. Ⅳ, Iran-Kha, E. van Donzel, B. Lewis, Ch. Pellat (pp. 1-256); C.E. Bosworth, E. van Donzel, B. Lewis, Ch. Pellat (pp. 257-768) eds., 1978. ISBN 9004057455 Vol. Ⅴ, Khe-Mahi, C.E. Bosworth, E. van Donzel, B. Lewis, Ch. Pellat eds., 1986. ISBN 9004078193 Vol. Ⅵ, Mahk-Mid, C.E. Bosworth, E. van Donzel, Ch. Pellat eds., 1991. ISBN 9004081127 Vol. Ⅶ, Mif-Naz, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs, Ch. Pellat eds., 1993. ISBN 9004094199 Vol. Ⅷ, Ned-Sam, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs, G. Lecomte eds., 1995. ISBN 9004098348 Vol. Ⅸ, San-Sze, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs, G. Lecomte eds., 1997. ISBN 9004104224 Vol. Ⅹ, T-U, P.J. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs eds., 2000. ISBN 9004112111 Vol. Ⅺ, V-Z, P.J. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs eds., 2002. ISBN 9004127569 Vol. Ⅻ, Supplement, P.J. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs eds., 2004. ISBN 9004139745 Index of Subject, P.J. Bearman., 2005. ISBN 9789004143616 Glossary and Index of Terms, P.J. Bearman., 2006. ISBN 9789004156104 Index Volume, Peri Bearman, Thierry Bianquis, C. Edmund Bosworth, E.J. van Donzel, Wolfhart Heinrichs eds., 2008. ISBN 9789004144484 Index of Proper Names, E.J. Donzel, Ronald Kon eds., 2009. ISBN 9789004178977 An Historical Atlas of Islam, Hugh Kennedy eds., 2002. ISBN 9789004122352 ※ William C. Brice編集による1981年度版を改訂。
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新版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 03:06 UTC 版)
初版の発刊直後に全16巻の改訂版が計画された。1914年に第一次世界大戦が始まり1916年にオットーが死亡してからも編集が行われたが、費用が急騰したため完成に至らなかった。のち、オットーの義理の息子K. B. Mádlがヤン・オットー出版社を作り、1930年より大規模に改訂を行った(新代オットー百科事典、Ottův slovník naučný nové doby)。 1934年以後、資金の問題で編集は別の会社に移った。16巻が完成し残り2巻を印刷するのみとなった1943年にナチスに出版を差し止められ、戦後の1945年にナチスの検閲がかかっているとして戦中に刊行された巻も絶版が命ぜられた。全12巻、約6万項目、8585ページ、大きさは初版のおよそ三分の一で、項目はUžok(ハンガリーのUzsok村)で終わっている。 1997年から1999年にかけて「Ottova encyklopedie obecných vědomostí」という名前でCD-ROM化された。
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新版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 02:54 UTC 版)
「恐竜の飼いかた教えます」の記事における「新版」の解説
2003年に刊行され、日本では2009年に新妻昭夫・山下圭子の邦訳で平凡社から発売された。21世紀の恐竜像で完全に内容をリニューアルしている。『飼育のプロが教えるアドヴァイス満載の手引書』というコピーがついている。 取り上げている全恐竜にイラスト(CG)がつけられるようになった。中には写真と恐竜のCGを合成したものもある。種の解説部には特徴を表すアイコンが書かれ、視覚的に理解しやすくなっている。特に肉食恐竜には「子供好き」と「子供を食べるのが好き」とはっきり二性質を区別している。道具、医療、ショップなどを扱う内容が追加され、飼育という観点が強化されている。 序文はリチャード・ドーキンス。さらに冒頭部にはニック・チータム、ドゥーガル・ディクソン、ウィリアム・ホプキンソンへの謝辞がある。加えて、ヴィクトリア女王の言という体裁で『恐竜に飽きた人は、既に人生に飽きている。なぜなら、恐竜には人生がもたらすすべてが備わっているのだから』コピーがつけられている。日本版の訳者あとがきには、先駆書として『鼻行類』が挙げられている。 書店や図書館では絵本・児童書として扱われていることがある。一般的な児童向け学習図鑑などと比較すると、文章量や漢字はずっと多く、またジョーク本であるためコンセプト自体が異なる。 恐竜を57種取り上げている。リニューアル点として、具体的には、1990年代の『ジュラシック・パーク』の世界的大ヒットや、1996年の羽毛恐竜発見などが踏まえられている。 目次 『リチャード・ドーキンスによる序文』『なぜ恐竜を飼うのか?』『恐竜のアイコンと、その意味』『恐竜を飼う人のための基本的な道具一式』 『初心者向けの恐竜(3種)』『家庭用のペットとしての恐竜(7種)』『翼をもつペット恐竜(6種)』『レクリエーションやサーカスに向いた恐竜(3種)』『警備のための恐竜(6種)』『卵と肉用の恐竜(11種)』『皮革と羽毛用の恐竜(7種)』『動物園とサファリパーク用の恐竜(14種)』 『病気と治療』『系統分類 恐竜の親戚関係』『恐竜ショップ案内』『訳者あとがき』
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新版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 02:19 UTC 版)
1950年前後には、旧版の刊行開始から約40年が過ぎ研究の深化も著しいものであった。さらに、第二次世界大戦後に中東世界は一変し、独立国家群の出現や中東戦争、石油の重要性の激増によって、近現代史を中心にさらなる情報の充実した参考図書が求められるようになった。そこで旧版をベースとして補足・訂正、さらに項目を追加して新版の編纂が始まった。 新版は旧版同様ブリル学術出版より英仏語(ドイツ語版は省かれた)で各巻分冊形式で発行されているが、第1巻第1分冊が刊行されたのが1954年である。その後1960年までに第1巻分がすべて刊行された。地図、図版を含み、旧版にもまして文献表の完備が目指されている。ほかに地理、文学、科学、美術の分野、および地域的に中東以外の項目を大幅に増補している(三浦 1998, p. 26)。また概念的な大項目などでは、各地域各時代ごとに章を設けて、専門家が執筆しており非常に詳細である。全体の量も膨大であり、本巻および補遺をあわせて全12巻、総計約20,000ページ、見出し語14,000語前後に及ぶ。その知識の海の圧倒的量により、ほとんど絶対的な評価を確立しているのである。刊行には約半世紀を要し、最終12巻の補遺が発刊されたのが2004年のことである。膨大さゆえに見出し語だけでは十分な検索が期待できないため、ほかに語彙索引などが3冊刊行されており、2006年初頭現在、付録などのさらなる刊行が予定されている。また2002年にCD-ROM版が頒布、2003年以降、オンライン版が運用されている。 『イスラーム百科事典』新版はしかしながら、必ず参照されるという立場にあるために完璧さが期待され、かえって瑕疵として指摘される点も少なくない。 その中でも最大のものは旧版のアラブ・スンナ派中心的な編集方針と、オリエンタリズム的偏りを引きずっているというものである。比較すれば旧版よりは大幅に改善しているとはいえ、アラブの文化・地理・政治などそれぞれが非常に詳細であり、場合によっては煩雑といえるほど詳細に記述される一方、イランやテュルク/トルコについては前イスラーム期の記述は著しく少なく、イスラーム化以降についても叙述はアラブに比して非常に少ない。イスラームについてもシーア派の諸分派などについてはスンナ派ほど充実しているとはいえず、またキリスト教徒やユダヤ教徒への目配りも中東中心部以外についてはかなり欠落している。 さらに中東以外のインド、東南アジア方面は壊滅的で、シリアの地方都市ヒムスについて地図付き6ページが割かれるのに対し、現在のトルコの首都アンカラが3ページ、21世紀初頭現在、世界最大のムスリム人口を持つインドネシアの首都ジャカルタに至っては半ページの記述で人口統計は1940年のものである(Daniel 1998, p. 434)。これは編集に考証学的な好古趣味があるためではないかという批判を招いており(Hodgson 1974, p. 40)、近現代よりも前近代を重視するために発生する偏りであるといえよう。おそらくは新版も旧版のヨーロッパ的東洋学を受け継ぎヨーロッパ人が中心となって編纂したものであり、近現代についての社会科学を中心としたアメリカでの研究を限定的にしか受け入れることができなかったことが影響しているともいえる。 アラブ中心的なあり方は見出し語の立て方に如実である。ヨーロッパ語による事典ではあるが、ほとんどの項目がアラビア語で立てられる。たとえば「百科事典」は Encyclopaedia あるいは Encyclopédie ではなく、アラビア語の転写 Mawsūʿa で立てられる。同様のものに衣類Libāsなどがある。人名などについても近現代にいたるまで、ほとんどがアラビア語で立てられトルコ語読みやペルシア語読みで立てられることは例外的である。ラテン文字転写も独特でジーム (ج: j) はdj、カーフ (ق: q) はḳで引かなければならない。以上のような点で、アラビア語をそれなりに解さなければ見出し語にたどり着くことは困難であり、専門の研究者であってもとまどうことが少なくない。このような傾向が、旧版トルコ語版での膨大なトルコ関連記事の挿入、あるいは新版のイランでの翻訳作業から生まれることになるイラン百科事典などを生み出す直接の契機となっている。 編集方針に関しては非常に放任的で全体のスタイルに統一性が見られない。たとえばある王朝の項目では、君主別に見出しを立てるものもあれば、政治や文化などそれぞれで項目を立てて時系列的には前後するものなどさまざまである。またその膨大な量ゆえに見出し語の項目には記述されていないのに、関係項目で重要な記載があるなどの混乱も見られる。これはスタイルに関する問題以前に編集の問題であり、項目の重要性とその分量に統一的な基準が設定されていないことによる。これに先述のような考証学的好古趣味が混乱を助長しているとも言える。 このような種々の問題点を含みつつも、図書館にまず完備されるべき浩瀚な参考図書との位置づけは全く揺らぐものではなく、専門研究者に多大な恩恵をもたらしている。
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「新版」の例文・使い方・用例・文例
- このソフトウェアの最新版をリリースするときは私たちに教えてください。
- あなたが持っているその書類は最新版ですか?
- 8月3日に改版されたものが最新版です。
- 私はその最新版の資料を鈴木から受け取りました。
- 私はその最新版を確認しませんでした。
- その最新版の資料を鈴木から受け取りました。
- その最新版を確認しませんでした。
- 私はそれが最新版であることを確認したい。
- Mozilla Foundationは5月1日、メール/ニュースクライアントソフトの最新版「Thunderbird 2.0.0.14」をリリースした。
- 来月、その百科事典の最新版がでる。
- 著者が本を書き直す度に新版となる。
- 私の知る限りでは、これが最新版です。
- 新版は製本中です.
- 新版を旧版と校合する.
- 新版には多くの改善が取り入れられている.
- 新版物がたくさんあります
- 本の新版が出ました
- これが最新版です
- 千葉県印(いん)西(ざい)市(し)で作られたせんべいが,9月に発行されるギネス世界記録の最新版に世界一大きいせんべいとして掲載される予定だ。
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