貿易史 概要

貿易史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 04:35 UTC 版)

概要

起源

クラ交易用の首飾り

貿易は、その場にはない財を入手するための手段である。そのために狩猟や略奪に似た面を持っているが、貿易には2方向で財をやりとりするという性質がある。また、取り引きでは平和が保たれる必要があり、貿易には集団間の交流をもたらす効果もあった。貿易は、貨幣市場が存在しない時代から行われていた[3]。なお日本だと、貨幣を介さない時代の交流取引を「交易」と呼ぶことが多い[4]

最も原初的な交易とされる方法に沈黙交易があり、2つの集団が接触を避けながら交渉をする。取り引きの当事者は接触や会話をせずに品物を置き、品物を気に入れば取り引きは成立となる。財の入手において外部の集団からの影響を受けない点が重要とされ、会話が通じる集団同士でも沈黙交易は行われる。沈黙交易はヘロドトスが記したアフリカのカルタゴリビュアや、中世のヴォルガ・ブルガールの毛皮貿易、『蝦夷志』のアイヌなど世界各地に存在した記録がある[5][6]。また、沈黙交易は20世紀においても行われている[7]

行動規範が同じで隣接している集団との交易では、正直さや儀礼の正確さが求められる。しかし、面識がない集団が相手となると、それぞれの行動規範が機能しない。そのため取り引きの相手をだます行為を認めたり、推奨をする場合もあった[8]

管理貿易

贈り物の交換や使節の交流などの政治的、儀礼的な面がある貿易は、贈与貿易とも呼ばれる。贈与貿易は、トロブリアンド諸島で2種類の腕輪を贈るクラ[9]や、ヴァイキングサガに書かれた風習に見ることができる[10]。贈与貿易は、集団間の武力衝突を避ける交流としても選ばれた[11]

遠隔地からの財の獲得は軍事的、外交的な事業でもあり、権力者によって管理貿易が行われた。国家間の管理貿易は条約が定められ、専門の交易者が参加して、用いる財の種類と交換比率が固定されていた[12]。管理貿易では公的な財や権力者の財が取り引きされ、やがて私的な財の取り引きも平行して行われるようになった。たとえばモルッカ諸島の香料貿易では、外国商人は国王が所有するクローブから買い入れ、次に個人所有のクローブを買い入れた[13]。奈良時代の日本では、貴族が優先的に大陸からの財を買い付けた[14]。中国で確立した管理貿易としては朝貢があり、周辺国のあいだでも朝貢が行われた[15]

交易港

長崎の出島(1824年、もしくは1825年)

管理貿易が確立されると、複数の共同体が参加する制度および場所として、交易港が定められる場合がある。交易港では政治的中立性が維持されて、専門の交易者、政府の代表、特許会社などが取り引きを行った。また、貿易品を扱う市場は、地元の品を扱う市場とは区別された。貿易の促進のために、商品に関税をかけない自由港の制度も古代より存在した[16]。交易港のパターンとしては、(1)共同体の境界上において一時的に開催され、定住人口はない。(2)継続的な性質を持ち、交易者の滞在や手工業者などの定住地がある。(3)貿易を目的としなくなって放棄されるか、在地の経済のために機能したり政治・行政・軍事的な目的を持つようになった場所、などがある[17]

交易者

フィレンツェ絵文書英語版に描かれたポチテカ

交易を行う者は、大きく2種類に分かれる。義務や公共に奉仕する身分動機の者と、利潤動機のために交易をする者がおり、以下のような類型がある[18]

環境

自然環境によって貿易の開始や発展に違いが生じ、以下のような特徴を持つ。

  • 灌漑農耕や牧畜に適した平原があり、金属、石材、木材を入手するための貿易が行われる。エジプトやメソポタミア南部がこれにあたる[22]
  • 乾燥した気候のもとで、遊牧・牧畜と農耕が行われ、対照的な生業が交易の原因となる。都市は遊牧民と商人を交易で結びつけ、遠距離交易と市場の仕組みも発達する。シルクロードが通る中央アジア、サハラ交易の西アフリカ、アラビア半島がこれにあたる[23]
  • 海岸沿いに都市があり、海上貿易で栄える。地中海の沿岸、インドグジャラート地方やマラバール、東南アジアの多島海、メソアメリカのプトゥン人がこれにあたる。東南アジアは自給的な山地と港市のある海岸に分かれており、貿易ルートを支配した国家を港市国家とも呼ぶ[24]
  • 河川など水路沿いに内陸での長距離交易が行われる。東ヨーロッパやロシアの河川に進出したヴァイキングやルーシがこれにあたる。
  • 生態系が異なる低地と山地の間で交易が行われる。メソアメリカの高地と低地や、アンデスの海岸と山岳、雲南地方の森林と山地がこれにあたる[25]
  • 近代の産業革命の成立には、機械燃料となる石炭をはじめとする鉱物資源の調達や、人口増加の解決、製品の輸出先が重要となった。ヨーロッパはアメリカ大陸によってこの問題を解決して、人口増加と手工業の拡大を続けて産業革命がいち早く進行した[26]

交通と情報

貿易ルート

シルクロードの主要ルート。赤色が陸路、青色が海路
  • シルクロードは、アジアとヨーロッパ、北アフリカを結ぶ東西交通路であり、主なルートは草原、オアシス、海路の3つがある。草原の道は、ユーラシアのステップ地方を北緯50度付近で東西に横断するルートで、主に遊牧民が利用した。オアシスの道は、中央アジアのオアシス群を北緯40度付近で東西に横断するルートで、ソグド人、ペルシア人、ウイグル人が利用した。海上ルートは紅海またはペルシア湾から華南まで伸び、海のシルクロードとも呼ばれる。中国人、東南アジア人、ペルシア人、アラブ人、ヨーロッパ人が利用した[27]
  • インド洋は東のベンガル湾交易圏と、西のアラビア海交易圏に大きく分かれる。この海域ではアラブのダウ船が中心となった。東南アジアはジャワ海とシャム湾があり、香料諸島が属している。この海域ではマレー人のプラウ船英語版が中心となった。北東アジアからオーストラリア東南部にかけての海域は、複数の交易圏がつながっている。東シナ海交易圏と南シナ海交易圏では、中国のジャンク船が中心となった[28]
大航海時代の主な航路
  • 15世紀から17世紀にかけて、アフリカ周回でインド洋へつながるルート、大西洋を横断するルート、太平洋を横断するルートが確立した。この時代は特に大航海時代とも呼ばれる。19世紀には地中海と紅海をつなぐスエズ運河と、太平洋とカリブ海をつなぐパナマ運河が建設され、さらに貿易を増大させた。
  • 大幹道と呼ばれるインドを横断するルートは、アジアで最も古くから利用されている道とされる。ヨーロッパを南北に横断する道としては、琥珀の交易に用いられたことから琥珀の道と呼ばれるルートがある。古代ローマの領土では道路網が整備されてローマ街道と呼ばれ、交易にも利用された。イスラーム以降はマッカへの公式巡礼路としてエジプト道、シリア道、イラク道、イエメン道の4街道でキャラバンが往来した。

交通手段

キャラバン

陸路では人力のほかにロバ、そして荷車が用いられた。西アジアや中央アジアが原産のラクダは乾燥地での運搬に適しており、アフリカをはじめ他の乾燥地にも広まった。運搬力に優れた家畜を得るために、馬とロバの雑種であるラバや、ヒトコブラクダフタコブラクダの雑種が作られた[29]。南アメリカのアンデスではリャマが用いられた。メソアメリカには運搬に適した大型の家畜や車輪技術が存在せず、運搬は人力で行われたため、遠距離貿易には制約となった[30]。乾燥や降雪が激しい地域では、季節によって交易の時期が制約された。19世紀に鉄道が実用化されると、陸路の輸送量は飛躍的に増加した[31]

大量の物資を運ぶには、陸路より水路が適していた。品物の種類や水域によって船が使い分けられ、たとえば地中海ではガレー船は積載量が小さいため高価軽量の商品を運び、帆船は積載量が大きいため、穀物、原料、資材などの低価格で重量のある商品を運んだ。機械を動力に用いるまでは風向きや波が重要であり、停泊は長期間に及んだ。1850年代以降は帆船にかわって石炭を燃料とする蒸気船の利用が増加して、次に石油を燃料とする内燃機関による輸送が普及した。19世紀には石油類を輸送するためのタンカーが建造されて、20世紀には海上コンテナを陸路と共有して輸送を迅速にするコンテナ船が登場した[32]

情報

アメリカ議会図書館にある羅針儀海図。14世紀前半末頃の地中海

情報の伝達に時間がかかる時代には、交易者が移動して対面で取り引きを行った。やがて情報の入手が容易になると、交易者が定住して代理人を雇い、郵便や電信で遠隔地と連絡をとるようになる。たとえば11世紀のイスラーム世界では信用情報の照会が容易となり、代理人に取り引きを頼む形式が始まる。イスラーム商人と共に活動をしたマグリブのユダヤ商人が、代理人にあてて書いた文書がエジプトで発見され、カイロ・ゲニザと呼ばれて現存している[33]

貿易が増えるにつれて、手引書や商業書も増加した。1世紀の『エリュトゥラー海案内記』は紅海やインド洋の航路情報であり、中世の西アジアやヨーロッパでは商業指南書、中国ではからにかけて海上貿易の案内書があった[34][35]

中国からホータン王国へのカイコの伝来を描いた『蚕種西漸図』

重要な貿易品の入手法や製法、地図は機密情報としても扱われた。たとえば中国では絹を作るためのカイコや葉を利用するチャノキは、国外への持ち出しを禁じられていた。大航海時代の羅針儀海図は、当時は機密とされていた。16世紀にポルトガルがマラッカを占領した頃のポルトガル商館員だったトメ・ピレス英語版の記録が、リスボンの宮廷図書館から英訳されたのは、1940年になってからであった[36]

貿易と政治

安全保障

貿易を行う際には、人命や貿易品を守るための安全保障が重要となった。広大な領土を持つ国は、駅伝をはじめとする交通制度を整備して軍事と交易に用いた。また、世界各地で、貿易において協力関係や保護関係をもつ制度が作られた。中世のアイスランドでは、外国商人は地元の有力者であるゴジに保護されるかわりに、滞在中は現地の戦闘に参加するなどの互酬による関係をもった[37]モンゴル帝国の制度であるオルトクも、遊牧民と商人の協力関係が原型とされる[38]。中世の琉球王国と朝鮮の貿易では、案内役兼船乗りとして倭寇が同乗して安全を保障する制度があり、警固と呼ばれた[39]。インド洋や大西洋など広い海域の貿易にヨーロッパが進出すると、ポルトガルスペインオランダイギリスは海軍で安全確保を行った。貿易の安全にかかるこうした費用は保護費用(プロテクション・レント)とも呼ばれる[40]

取り引きの失敗は、武力衝突につながる場合があり、『日本書紀』に記された粛慎などの記録がある[41]。貿易品が原因となった紛争として、ビーバー戦争アヘン戦争、奴隷貿易用の捕虜を目的としたアフリカの戦争などがある。略奪・交易・貢納が混じりあう例として、中世の地中海[42]、ヴァイキング時代のバルト海や北海[43]、中央アジアの匈奴の関係、東南アジアの多島海、ヨーロッパの私掠船の制度があげられる[44]

貿易政策

権力者は、長距離交易の国際市場を政治的中立に保ち、安全を保障することで利益を得た。軍事力による国際市場の支配は、貿易ルートの変更を招いて経済が衰える場合もあった。

歴史的に最古の貿易政策は、関税とされる[45]保護貿易から自由貿易までさまざまな政策がある。保護貿易の思想として16世紀の重商主義があり、経済学では19世紀のフリードリヒ・リストが保護貿易論を主張した。自由貿易は18世紀のアダム・スミスデヴィッド・リカードの時代から貿易政策の理想として論じられており、産業革命後のイギリス帝国、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国は自由貿易を推進した。保護貿易によるブロック経済が第二次世界大戦の一因となったことから、自由貿易のための国際機関として世界貿易機関(WTO)も設立された。現代の貿易政策は、所得の再分配、産業の振興、国際収支の改善などを目的として行われる。そのための方法として、関税、輸出補助金輸入割当輸出自主規制や、2国間で貿易を促進する相互主義がある[46][47]

貿易政策は、圧力団体などの組織されたグループにとって有利になりやすい。たとえば輸入割当は、特定の生産者が利益を得やすいが、多数にのぼる消費者は損失をこうむるにもかかわらず意見が組織されにくい。このため組織されたグループが特定の貿易政策を支持すると、社会全体の厚生が犠牲にされる場合がある。19世紀のイギリスの穀物法や、世界恐慌を悪化させた1930年のアメリカのスムート・ホーリー法などがある[48]


注釈

  1. ^ プランテーションの作物としては、サトウキビコーヒーノキ綿花タバコゴムノキアブラヤシなどがある。
  2. ^ ホメーロスの叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』には、フェニキア人が人さらいの海賊まがいとして描かれている[64]
  3. ^ 国内のアゴラの穀物価格は公定価格が維持されていたが、紀元前4世紀にアテナイの海上支配が衰えると、エンポリウムの貿易では穀物価格が高騰して、アゴラの価格にも影響を与えた[67]
  4. ^ アテナイの喜劇作家アリストパネスの戯曲『アカルナイの人々』では、ペロポネソス戦争の最中に敵国と単独和平をして貿易で儲ける人物が登場して、戦争に積極的な有力者と対照的に描かれている[69]
  5. ^ ペトロニウスの小説『サテュリコン』に登場する解放奴隷のトリマルキオ英語版が、貿易で成功したのちに土地所有者に転じているのも、こうした価値観の表れとされる[73]
  6. ^ 紀元前3千年紀に編纂されたギルガメシュ叙事詩には、英雄ギルガメシュレバノンスギを手に入れるエピソードがあり、当時の事情を表しているとされる[81]
  7. ^ 南インドのシャンガム文学の叙事詩にはヤヴァナの貿易活動も謳われた[98]
  8. ^ 絹馬交易という語は、松田壽男によって考案された[108]
  9. ^ 唐物は、『竹取物語』、『うつほ物語』、『源氏物語』などの文学にも描かれている[122]
  10. ^ 中世に成立した説話集である『千夜一夜物語』には、バスラの船乗りで海上貿易を行ったシンドバードをはじめとして、8世紀から9世紀にかけての広範な貿易ルートをうかがわせる物語が収められている。
  11. ^ フィレンツェの作家であるボッカチオの『デカメロン』には、商人と海賊を兼業して利益を得た話が収められており、当時の生活を反映していると言われる[137]
  12. ^ 中世のヴェネツィアにおける貿易を題材とした作品として、シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』が有名である。
  13. ^ 北欧の叙事詩を収めたサガや、北欧神話の歌謡集『エッダ』には、贈与が重要な役割を果たす逸話が多く残されている。
  14. ^ 地理・歴史学者であるアブー・ザイドwikidataの『シナ・インド物語フランス語版』やマスウーディの『黄金の牧場』には、内陸の商人たちが海路で広州などへ向かった様子が記されている。
  15. ^ ボッカチオやチョーサーはこれをタタールの織物やタタールのサテンと表現している。
  16. ^ オランダのデルフトに住んでいた画家ヨハネス・フェルメールの作品『兵士と笑う女』には北アメリカのビーバーの毛皮帽子、『地理学者』には和服が描かれており、当時のオランダの繁栄がうかがえる[215]
  17. ^ オランダ東インド会社の資本金は650万グルデンで株主は有限責任制だった。対するイギリス東インド会社の第1航海の起債は6万8000ポンド(約53万グルデン)だった。
  18. ^ ネイボッブには帰国後に腐敗選挙区から下院議員に当選する者も出て批判の声があがり、東インド会社の独占廃止と第1次選挙法改正 (Reform Act 1832につながった[221]
  19. ^ マデイラ諸島カボヴェルデサントメに植えたサトウキビは地中海よりも育ちがよかった。
  20. ^ イギリスのダニエル・デフォーによる小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公も、ブラジルに農園を持つ奴隷商人だった[229]
  21. ^ オラウダー・イクイアーノ英語版フレデリック・ダグラスは作品を通して奴隷制度の廃止を訴えた[230]
  22. ^ 東南アジアやスリランカの胡椒・丁子・ナツメグ・メイス・シナモンが主な商品だった[233]
  23. ^ アラビア半島の乳香・馬、東アフリカの金・象牙、ペルシアの絹織物・絨毯などが主な商品だった[233]
  24. ^ サンレイとは中国語の生利(shengli)、商旅(shanglu)などを由来とする説があり、パリアンとはタガログ語で駆け引きが行われる場所を意味した[237]
  25. ^ アメリカの小説家ジャック・ロンドンの短編集『南海物語』や、イギリスの小説家サマセット・モームの『作家の手帳』には、契約年季労働者やブラックバーダーの様子も描かれている。
  26. ^ ペート建設で得られる市場長や市場書記のワタン(vatan)が目的であった。ワタンとは17世紀以降の西インドにおける世襲の家職・家産であり、商品経済の浸透にともなって新しいワタンが作られていった[257]
  27. ^ イギリスでは1700年にはキャラコ禁止法英語版1720年にはキャラコ輸入禁止法が成立し、イギリスの繊維業者が保護された。
  28. ^ 強制栽培は当時からオランダでも問題視されており、エドゥアルト・ダウエス・デッケルは、ムルタトゥーリのペンネームで小説『マックス・ハーフェラール』を発表して、強制栽培制度を告発した[266]
  29. ^ のちに20世紀アメリカの作家アレックス・ヘイリーは、ガンビアからアメリカへ運ばれた祖先の体験をもとに小説『ルーツ英語版』を書きベストセラーとなる。のちにテレビドラマ化もされた。
  30. ^ ジャーナリストのエドモンド・モレルの『赤いゴム』、作家ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』、マーク・トウェインの『レオポルド王の独白英語版』には、自由国時代のコンゴが描かれている[299]
  31. ^ フランス人はインヌ族やアルゴンキン語族を支持する一方で、イギリス人はイロコイ連邦を支持しており、フランス対イギリスの代理戦争の面もあった[309]
  32. ^ ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラー内閣が自給自足政策を進めたが、食糧や石油をはじめ国内での自給は不可能であり、のちにアメリカが保護貿易政策をとった点も影響して行き詰まった[318]
  33. ^ 世界経済を工業製品の先進国と一次産品の途上国に二分して考えると、工業製品は技術革新や新製品があるため所得が上がりやすいが、一次産品は相対的に工業製品と比べて不利となる。そこで、一次産品価格を引き上げて工業製品の価格にリンクしつつ、先進国からの援助も含めて途上国の工業化をすすめることが目標とされた[334]
  34. ^ HPAEsは大きく3つに分かれ、第1は日本、第2は1960年代の香港、台湾、韓国シンガポール、第3は1970年代と1980年代のマレーシアタイインドネシア中国となる。
  35. ^ 貿易面での構造調整プログラムは、輸出の促進による国際収支の改善を目的としたが、輸出品目の多様化を進めなかったため国際価格が低落し、公定価格の撤廃などが影響して農民の生活は改善されなかった。地元の民間資本や企業家が育っていない中で公共部門の民営化は、外資系企業による支配の強化や民族対立にもつながった[350]
  36. ^ 日本の輸出は、1960年代の繊維や鉄鋼、1981年の自動車の輸出自主規制、1986年の工作機械の輸出自主規制などを起こした。日本の輸入に関しては、1970年代の牛肉やオレンジ、1980年代の半導体、米、スーパーコンピュータ、1990年代のフィルム・印画紙などが問題とされた。
  37. ^ トヨタ自動車は全世界の生産が22%減少し、ソニーは26億ドル、東芝は28億ドル、パナソニックは38億ドルの損失となった[367]

出典

  1. ^ a b c 山本 2000.
  2. ^ キンドルバーガー 2014, 第3章、付録B.
  3. ^ ポランニー 2005, p. 159.
  4. ^ コトバンク交易」世界大百科事典 、精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より
  5. ^ グリアスン 1997.
  6. ^ 瀬川 2013.
  7. ^ 鶴見 1987, p. 114.
  8. ^ サーリンズ 2012.
  9. ^ マリノフスキ 2010.
  10. ^ 角谷 2006, pp. 161–164.
  11. ^ モース 2009, 第4章第3節.
  12. ^ ポランニー 2005, p. 180.
  13. ^ 生田 1998, p. 125.
  14. ^ 丸山 2010, p. 266.
  15. ^ 濱下 1997, pp. 60–61.
  16. ^ ポランニー 2005, pp. 491–493.
  17. ^ 角谷 2006, p. 160.
  18. ^ 栗本 2013, pp. 732-752/3838.
  19. ^ 栗本 2013, pp. 735-740/3838.
  20. ^ 安野 2014.
  21. ^ 栗本 2013, pp. 735-746/3838.
  22. ^ 大津, 常木, 西秋 1997, p. 109.
  23. ^ 長澤 1993, pp. 35–37.
  24. ^ a b c d 桜井 1999.
  25. ^ 上田 2006.
  26. ^ ポメランツ 2015, p. 304.
  27. ^ 長澤 1993, p. 22.
  28. ^ リード 1997, 第1章.
  29. ^ 永田 1999.
  30. ^ 青山, 猪俣 1997, p. 7.
  31. ^ a b ポメランツ 2015, p. 195.
  32. ^ 橋本 2013, p. 213.
  33. ^ 湯川 1984, pp. 114–117.
  34. ^ a b 齋藤 2004.
  35. ^ a b 河原 2006, 第2章.
  36. ^ 鶴見 1987, p. 98.
  37. ^ a b 松本 2010.
  38. ^ 四日市 2008.
  39. ^ 上里 2012, p. 110.
  40. ^ a b c マクニール 2013, 第1章.
  41. ^ 栗本 2013, p. 107.
  42. ^ 清水 1984, p. 179.
  43. ^ 熊野 2003, 第2章.
  44. ^ 薩摩 2018.
  45. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, p. 231.
  46. ^ 服部 2002.
  47. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 242–243, 254–255.
  48. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 277–280, 285.
  49. ^ 高宮 2006, 第2章第4節.
  50. ^ 屋形 1998.
  51. ^ ポランニー 2005, pp. 422–428.
  52. ^ 蔀 1999, pp. 252–253.
  53. ^ 栗田, 佐藤 2016, pp. 414–416.
  54. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 703–710, 774-780/8297.
  55. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 881–894, 912-924/8297.
  56. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1919-1932/8297.
  57. ^ クレンゲル 1991, 第2章、第3章.
  58. ^ 栗田, 佐藤 2016, p. 31.
  59. ^ クレンゲル 1991, 第15章.
  60. ^ 栗田, 佐藤 2016, p. 100.
  61. ^ 栗田, 佐藤 2016, p. 36.
  62. ^ 栗田, 佐藤 2016, p. 169.
  63. ^ 栗田, 佐藤 2016, p. 50.
  64. ^ 栗田, 佐藤 2016, pp. 139–140.
  65. ^ 栗田, 佐藤 2016, pp. 136–137.
  66. ^ 前沢 1999, pp. 161–165.
  67. ^ 前沢 1999, pp. 166–168.
  68. ^ 前沢 1999, p. 162.
  69. ^ ポランニー 2005, pp. 326–329.
  70. ^ ポランニー 2005, pp. 237–239.
  71. ^ グリーン 1999, pp. 31, 90.
  72. ^ グリーン 1999, pp. 367–369.
  73. ^ 坂口 1999, p. 38.
  74. ^ 坂口 1999, pp. 30–32.
  75. ^ 蔀 1999, pp. 258–260.
  76. ^ a b 村川訳註 2011.
  77. ^ 東野 1997, pp. 59–60.
  78. ^ 長澤 1993, pp. 159–160.
  79. ^ 栗田, 佐藤 2016, pp. 106–108.
  80. ^ 佐藤, 池上 1997, 第2章.
  81. ^ a b 小林 2007, p. 171.
  82. ^ 小林 2007, p. 189.
  83. ^ 小林 2007, p. 141.
  84. ^ 小林 2007, p. 183.
  85. ^ 大村 2004, 第3章、第4章.
  86. ^ 明石 2015.
  87. ^ 長澤 1993, pp. 90–92.
  88. ^ 小林 2007, p. 175.
  89. ^ a b c 坂本 1999.
  90. ^ a b 遠藤 2013.
  91. ^ 小林 2007.
  92. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2458-2482/8297.
  93. ^ 宮本, 松田編 2018, p. 2490/8297.
  94. ^ 宮内, 奥野 2013.
  95. ^ 木村 2013.
  96. ^ 山崎, 小西編 2007, pp. 100–101, 178–179.
  97. ^ 山崎, 小西編 2007, p. 278.
  98. ^ 蔀 1999, pp. 283–285.
  99. ^ 山崎, 小西編 2007, pp. 144–145.
  100. ^ 山崎, 小西編 2007, pp. 169–170, 178–179.
  101. ^ 生田 1998, pp. 第45-46.
  102. ^ 石澤, 生田 1998, 第4章.
  103. ^ 長澤 1993, pp. 55–56.
  104. ^ 長澤 1993, pp. 56, 60–62.
  105. ^ 長澤 1993, pp. 29–31.
  106. ^ 荒川 2010, 第1部.
  107. ^ 長澤 1993, pp. 72, 79–80.
  108. ^ 松田壽男 (1967-06-30). “縞馬交易と「偶氏の玉」 - 最古のシルク・ロードについて”. 東洋史研究 26 (1): 30-57. https://doi.org/10.14989/139060. 
  109. ^ 長澤 1993, pp. 108–110.
  110. ^ 長澤 1993, pp. 132–133, 138–140.
  111. ^ 荒川 2010, p. ).
  112. ^ 菊池 2009, 第5章.
  113. ^ 山田 2000, p. 13、19.
  114. ^ a b 濱下 1997.
  115. ^ 荒川 2010, 第10章.
  116. ^ 長澤 1993, pp. 270–272.
  117. ^ 長澤 1993, pp. 291–292.
  118. ^ 可児 1984, p. 2.
  119. ^ 東野, 2007 & pp146-148.
  120. ^ 東野 2007, pp. 154–156.
  121. ^ 東野 2007, pp. 51–52.
  122. ^ a b 河添 2014.
  123. ^ 青山, 猪俣 1997, p. 85.
  124. ^ 中村 2007, p. 227.
  125. ^ 中村 2007, pp. 175, 186.
  126. ^ 中村 2007, pp. 230–231.
  127. ^ 中村 2007, 第3章-第4章、第7章.
  128. ^ 大貫 1979.
  129. ^ 関 2010.
  130. ^ 家島 2006.
  131. ^ ウェザーフォード 2014.
  132. ^ a b 宮崎 1994, 第3章.
  133. ^ バットゥータ 1996.
  134. ^ a b 家島 2006, 第2部第1章.
  135. ^ 加藤 1995, 第2章.
  136. ^ 清水 1984.
  137. ^ 清水 1984, pp. 179–180.
  138. ^ 清水 1984, pp. 179, 191.
  139. ^ ブローデル 1992, p. 25.
  140. ^ 高山 1999, 第7章、第8章.
  141. ^ ヘリン 2010, pp. 219–220.
  142. ^ 齊藤 2011.
  143. ^ 生田 1998, pp. 31–32, 37.
  144. ^ 生田 1998, pp. 44–45.
  145. ^ 生田 1998, p. 16.
  146. ^ 家島 2006, 第5部第4章.
  147. ^ 生田 1998, pp. 8–10.
  148. ^ 辛島編 2004, p. 178-181, 184.
  149. ^ 辛島編 2007, p. 144.
  150. ^ a b 小谷編 2007, pp. 195–197.
  151. ^ 辛島編 2004, 第4章.
  152. ^ 生田 1998, 序章.
  153. ^ マクニール 2013.
  154. ^ 前嶋 1991.
  155. ^ メノカル 2005.
  156. ^ ヘリン 2010, pp. 208–211.
  157. ^ ヤーニン 1998.
  158. ^ 和田編 2004, 第4章.
  159. ^ 山田 1999.
  160. ^ 佐藤, 池上 1997, 第4章.
  161. ^ 佐藤, 池上 1997, 第10章、第11章.
  162. ^ ウォルフォード 1984, 第4章、第5章.
  163. ^ 熊野 2003, 第2章、第4章.
  164. ^ 角谷 2006, pp. 176–178, 187–190.
  165. ^ a b 宮崎 1994, 第6章.
  166. ^ 長澤 1993, pp. 330–331.
  167. ^ 長澤 1993, pp. 322–323.
  168. ^ 長澤 1993, pp. 324–326.
  169. ^ 長澤 1993, pp. 327–329.
  170. ^ a b ウェザーフォード 2014, 第9章.
  171. ^ 可児 1984, p. 3.
  172. ^ 四日市 2008, p. 145.
  173. ^ a b c 森 2008.
  174. ^ 榎本 2008.
  175. ^ 四日市 2008, pp. 125–128.
  176. ^ 四日市 2008, pp. 131, 139.
  177. ^ ウェザーフォード 2014, 第10章.
  178. ^ 田中 1997, 第1章.
  179. ^ 臼井 1999.
  180. ^ 上里 2012, pp. 65–69.
  181. ^ 上里 2012, pp. 89–91.
  182. ^ 上里 2012, pp. 105–106, 109–110.
  183. ^ ブルック 2014, p. 83.
  184. ^ 斯波 1995, p. 37.
  185. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2519-2531/8297.
  186. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2535-2545/8297.
  187. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2549-2554/8297.
  188. ^ 臼井 1992, 第2章.
  189. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1633-1646/8297.
  190. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1663-1670/8297.
  191. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1603–1609, 1675-1687/8297.
  192. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1639-1646/8297.
  193. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 940-947/8297.
  194. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 979–998, 1053, 1072-1078/8297.
  195. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1268-1275/8297.
  196. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1329-1348/8297.
  197. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1348-1353/8297.
  198. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1418-1430/8297.
  199. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2945-2965/8297.
  200. ^ a b 青山, 猪俣 1997, pp. 157–158.
  201. ^ 中村 2007, p. 91.
  202. ^ 小林 1985.
  203. ^ 関 2010, p. 196.
  204. ^ 関 2010, pp. 241–243.
  205. ^ 関 2010, pp. 253–254.
  206. ^ ダルトロイ 2012.
  207. ^ 網野 2018, p. 203.
  208. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2893–2899, 2928, 2945/8297.
  209. ^ ホブズボーム 1993.
  210. ^ a b マグヌソン 2012, 第2章.
  211. ^ 和田編 2004, 第5章.
  212. ^ a b マグヌソン 2012, 第6章.
  213. ^ 中沢 1999.
  214. ^ 名城 2008.
  215. ^ a b ブルック 2014.
  216. ^ 谷澤 2010.
  217. ^ ウォルフォード 1984, 第5章.
  218. ^ a b 浅田 1989, 第1章.
  219. ^ 永積 2000, 第2章.
  220. ^ 宮本, 松田編 2018, 第10章.
  221. ^ a b 浅田 1989, 第9章、第10章.
  222. ^ ホント 2005.
  223. ^ 服部 2002, 第6章第4節.
  224. ^ エルティス, リチャードソン 2012, 第1章.
  225. ^ エルティス, リチャードソン 2012, p. 序章.
  226. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2985-2991/8297.
  227. ^ a b エルティス, リチャードソン 2012, 第4章.
  228. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3022-3028/8297.
  229. ^ a b ポメランツ, トピック 2013, p. 250.
  230. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3060-3067/8297.
  231. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3162-3188/8297.
  232. ^ エルティス, リチャードソン 2012, 第6章.
  233. ^ a b c 薩摩 2018, p. 104.
  234. ^ 薩摩 2018, pp. 104–106.
  235. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2928-2933/8297.
  236. ^ 生田 1998, 第1章.
  237. ^ a b 菅谷 1999.
  238. ^ ブルック 2014, 第6章.
  239. ^ 斯波, 1995 & 123, 139-140.
  240. ^ 濱下 1997, pp. 65–66.
  241. ^ ポメランツ, トピック 2013, p. 265.
  242. ^ 山本編 2000, p. 226.
  243. ^ a b 秋道 2000.
  244. ^ ポメランツ, トピック 2013, p. 349.
  245. ^ ポメランツ 2015, p. 294.
  246. ^ マグヌソン 2012, 第4章.
  247. ^ マグヌソン 2012, p. 228.
  248. ^ a b 玉木 2012.
  249. ^ 服部 2002, pp. 114–115, 122–123.
  250. ^ マグヌソン 2012.
  251. ^ ホブズボーム 1993, p. 88.
  252. ^ a b c ホブズボーム 1993, 第3章.
  253. ^ ホブズボーム 1993, p. 80.
  254. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 5679–5697, 5737-5750/8297.
  255. ^ ホブズボーム 1993, p. 94.
  256. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3340-3347/8297.
  257. ^ 小谷編 2007, pp. 230–231, 251–255.
  258. ^ 小谷編 2007, pp. 247–255.
  259. ^ a b ポメランツ, トピック 2013.
  260. ^ 小谷編 2007.
  261. ^ 辛島編 2004, pp. 367–368.
  262. ^ 生田 1998.
  263. ^ 斯波 1995, 第2章.
  264. ^ 白石 2000, pp. 43–44.
  265. ^ 白石 2000, pp. 26–27.
  266. ^ 石坂 2013.
  267. ^ 白石 2000, pp. 68–71.
  268. ^ 鶴見 1987, p. 156.
  269. ^ 佐々木 1996.
  270. ^ 森永 2014, p. 5.
  271. ^ a b 森永 2014.
  272. ^ ウォルフォード 1984, p. 304.
  273. ^ 小松編 2000, p. 305.
  274. ^ 小松編 2000, 第6章.
  275. ^ 角山 1980, 第1章.
  276. ^ a b 角山 1980, p. 101.
  277. ^ 永積 2000, p. 139.
  278. ^ 東野 1997, pp. 176–180.
  279. ^ 鶴見 1987, p. 144.
  280. ^ ブルック 2014, 第3章.
  281. ^ 永積 1999.
  282. ^ 濱下 1997, 第9章.
  283. ^ ポメランツ, トピック 2013, p. 150.
  284. ^ 山田編 1995.
  285. ^ 多田井 1997, p. 下227.
  286. ^ 濱下 1997, pp. 25–28.
  287. ^ 濱下 1997, pp. 173–174.
  288. ^ 武田編 2000.
  289. ^ ナン 2018, pp. 181–183.
  290. ^ 栗本 2013, pp. 1124-1130/3838.
  291. ^ エルティス, リチャードソン 2012.
  292. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3375-3088/8297.
  293. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3434-3447/8297.
  294. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 2728-2753/8297.
  295. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3558-3603/8297.
  296. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3661-3680/8297.
  297. ^ 坂井 2003.
  298. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3085–3097, 3101/8297.
  299. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3923-3941/8297.
  300. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 3893–3904, 3947/8297.
  301. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 1448-1462/8297.
  302. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 4378–4387, 4402-4419/8297.
  303. ^ ダイアモンド 1997, p. 386.
  304. ^ a b 湯浅 1998.
  305. ^ 池本, 布留川, 下山 2003.
  306. ^ 臼井 1992, 第7章.
  307. ^ 木村 2000.
  308. ^ ポメランツ, トピック 2013, p. 151.
  309. ^ a b ブルック 2014, 第2章.
  310. ^ 木村 2004.
  311. ^ カーク 2014, p. 21.
  312. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, p. 51.
  313. ^ ヤーギン 1991, 第1部.
  314. ^ a b c 秋元 2009, 第1章.
  315. ^ ポメランツ 2015, p. 293.
  316. ^ ホブズボーム 1993, 第2章.
  317. ^ a b ヤーギン 1991, 第2部第10章.
  318. ^ トゥーズ 2019, pp. 330–334, 346–347.
  319. ^ 野林, 他 2003, 第3章.
  320. ^ ヤーギン 1991, 第2部第11章.
  321. ^ ヤーギン 1991, 第2部第15章.
  322. ^ ヤーギン 1991, 第3部第16章、第18章.
  323. ^ トゥーズ 2019, pp. 466–467.
  324. ^ 橋本 2013, p. 214.
  325. ^ 橋本 2013, p. 216.
  326. ^ 橋本 2013, p. 220.
  327. ^ 橋本 2013, p. 226.
  328. ^ 猪木 2009, 第1章、第2章.
  329. ^ 野林, 他 2003, 第4章.
  330. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 285–287.
  331. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 278–279.
  332. ^ 阿部, 遠藤 2012, pp. 308–310.
  333. ^ 平野 2009, p. 3.
  334. ^ a b 平野 2009, p. 4、p.10.
  335. ^ 平野 2009, p. 5.
  336. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 315–317.
  337. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 317–319.
  338. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 319–321.
  339. ^ 猪木 2009, 第2章.
  340. ^ a b 野林, 他 2003, 第5章.
  341. ^ 猪木 2009, 第6章.
  342. ^ 平野 2013, 第2章.
  343. ^ 篠田 2005.
  344. ^ 大野, 桜井 1997, p. 36.
  345. ^ 大野, 桜井 1997, p. 157.
  346. ^ 大野, 桜井 1997, p. 291.
  347. ^ 平野 2013.
  348. ^ 内藤, 中村編 2006, 第11章.
  349. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 5737–5743, 5756–5762, 5909-5913/8297.
  350. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 6356–6367, 6773-6379/8297.
  351. ^ 宮本, 松田編 2018, pp. 6325–6330, 6386/8297.
  352. ^ 平野 2013, 第2章、第3章.
  353. ^ 猪木 2009, 第5章.
  354. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 289–291.
  355. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 196–197.
  356. ^ 阿部, 遠藤 2012, 第9章.
  357. ^ a b c d e 阿部, 遠藤 2012, 第10章.
  358. ^ a b 野林, 他 2003, 第10章.
  359. ^ 古屋 2011.
  360. ^ 渡辺 2007.
  361. ^ クルーグマン, オブズフェルド, メリッツ 2017, pp. 289.
  362. ^ 山田 2003, p. 165.
  363. ^ 阿部, 遠藤 2012, p. 309.
  364. ^ 猪木 2009, 第3章.
  365. ^ a b c トゥーズ 2020, pp. 183–185.
  366. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 259–260.
  367. ^ トゥーズ 2020, p. 184.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「貿易史」の関連用語

貿易史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



貿易史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの貿易史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS