浦和市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 06:24 UTC 版)
歴史
- 江戸時代まで
- 縄文時代 - 大宮台地の縁まで奥東京湾が入り込み、白幡貝塚や大谷場貝塚などが形成された。
- 神代(開化天皇) - 式内社である調神社が創建されたと伝えられる。
- 7世紀 - 大久保古墳群、土合古墳群が築かれる。
- 奈良時代 - 本太に律令制の政庁がおかれる。址には氷川神社が建立している。
- 平安時代 - 空海によって玉蔵院が創建される。
- 1337年(延元2年/建武4年) - 足利尊氏の命で調神社が復興。
- 1351年(観応2年) - 現在の羽根倉橋付近で観応の擾乱の羽根倉合戦が起こる。
- 1600年 - この頃中山道が整備される。
- 1633年(寛永10年) - 鷹場として浦和御殿が置かれ、以後浦和宿として発達する。
- 1697年(元禄10年) - 大門宿が日光御成街道の宿駅となる。
- 1728年(享保13年) - 見沼代用水が完成する。
- 1731年(享保16年) - 日本で最初の閘門式運河として見沼通船堀が開通する。
- 明治から第二次大戦まで
- 1869年(明治2年)1月13日 - 武蔵国のうち浦和宿の属する足立郡などは大宮県となり、県庁は東京府馬喰町に設置される。
- 1869年(明治2年)9月29日 - 浦和宿に本格的な県庁が設置され、県名が浦和県に変更される。
- 1871年(明治4年)3月1日 - 市内最古の学校として浦和郷学校が玉蔵院に開校。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県、岩槻県と合併し、埼玉県となる。県庁は当初岩槻に置かれる予定だったが、暫定的に浦和宿に置かれる。
- 1872年(明治5年)8月 - 埼玉裁判所が開設される。
- 1873年(明治6年) - 旧本陣内に改正局(埼玉県師範学校の前身)が開設される。
- 1874年(明治7年)12月12日 - 調神社境内に浦和公園偕楽園が開園(のちの調公園)。
- 1874年(明治7年)12月28日 - 岸村を浦和宿に編入。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 埼玉県が入間県と合併して新たに埼玉県となる。12月1日には旧浦和県庁舎を埼玉県庁舎とすることとなった。
- 1876年(明治9年)1月 - 医学校を岸町に開校。
- 1878年(明治11年)8月 - 明治天皇が鳳翔閣を行在所として宿泊。また、浦和警察署が開設される。
- 1879年(明治12年)3月 - 北足立郡・新座郡役所が仲町に設置される。
- 1883年(明治16年)7月28日 - 日本鉄道上野〜熊谷間が開通。浦和駅が開設される。
- 1888年(明治21年)3月 - 浦和の大火。警察署・裁判所など浦和宿の半分が焼失。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い浦和宿が北足立郡浦和町となる。同時に後の浦和市域となる地区において木崎、谷田、三室、尾間木、六辻、土合、大久保、美谷本、大門、野田の各村も誕生。
- 1904年(明治37年)7月 - 初めて電灯が灯る。
- 1912年(大正元年)11月1日 - 与野駅開業。
- 1914年(大正3年)1月 - 浦和簡易図書館が開館。
- 1918年(大正7年)11月 - 武州銀行が発足。
- 1921年(大正10年)8月 - 浦和から大門・志木への乗合バスが運行される。
- 1921年(大正10年)10月 - 旧制浦和高校が開校。
- 1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館(のちの埼玉県立浦和図書館)が開館。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災発生。倒壊建物は出たが、被害は軽微。浦和町の死者は3人[6]。以後浦和画家などの移住が加速。
- 1928年(昭和3年)12月 - 武州鉄道武州大門駅 - 岩槻駅間が開業。
- 1932年(昭和7年) 4月1日- 木崎村(北袋以外)・谷田村が浦和町に編入される。木崎村北袋のみ大宮町に編入される。
- 1932年(昭和7年)9月1日 - 東北本線の赤羽駅 - 大宮駅間の電化が完成。現在の京浜東北線。
- 1933年(昭和8年) - 新国道(国道17号)志村 - 大宮間が開通。
- 1934年(昭和9年) 2月11日 - 市制施行により浦和市となる(県内では川越市、熊谷市、川口市に次ぐ4番目、全都道府県庁所在地で最も遅い市制施行)。
- 1936年(昭和11年)9月 - 北浦和駅開業。
- 1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村が町制施行、六辻町となる。
- 1940年(昭和15年)1月 - 浦和 - 所沢間に直通バスが運行。
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村・三室村が浦和市に編入される。
- 1941年(昭和16年) - 浦和連隊区が置かれる。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入される。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村が笹目村と合併し、美笹村となる。
- 1943年(昭和18年)7月 - 埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)が本店を置く。
- 1945年(昭和20年)
- 4月から5月 - 県庁周辺と旧制浦高周辺で2回空襲があり、計17人の死者、740人の罹災者を出す(事前に空襲ビラがまかれた)。
- 6月 - 第36軍が拠点を置く。
- 戦後
後から岩槻市も2005年10月2日にさいたま市と合併する。
- 1946年(昭和21年)3月 - 埼玉会館別館に進駐軍である埼玉軍政部が置かれる。
- 1949年(昭和24年)5月 - 旧制浦和高校、埼玉師範学校、埼玉青年師範学校を統合し埼玉大学が発足(現市役所と現北浦和公園の2キャンパス)。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村・大久保村が浦和市に編入される。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 大門村・野田村と戸塚村が合併し、美園村となる。
- 1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 戸田町のうち旧美谷本村北部、すなわち松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離され、浦和市に編入される。
- 1961年(昭和36年)7月 - 南浦和駅開設。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村のうち、差間・行衛を除く旧大門村・旧野田村の区域が浦和市に編入される(残りは川口市に編入)。
- 1964年(昭和39年) - 2つのキャンパスに分かれていた埼玉大学が大字下大久保に移転(1969年までに)。
- 1973年(昭和48年)4月 - 武蔵野線開通、東浦和駅・西浦和駅開業。
- 1976年(昭和51年) - 浦和市役所が現在地に完全移転。
- 1980年(昭和55年)3月26日 - 東北自動車道浦和IC - 岩槻IC間が開通。
- 1981年(昭和56年)4月 - 市内最初の再開発である浦和駅西口駅前の浦和コルソ・伊勢丹浦和店が開業。
- 1985年(昭和60年)8月 - 浦和市文化センターがオープン。
- 1985年(昭和60年)9月 - 埼京線開通、武蔵浦和駅、中浦和駅開業。
- 1988年(昭和63年)5月 - 浦和市青少年宇宙科学館開館。
- 1992年(平成4年) - サッカーJリーグの浦和レッドダイヤモンズのホームタウンとなる。
- 1995年(平成7年)10月1日 - 第16回国勢調査。この時点で浦和市の人口は川口市を抜き、埼玉県内で第1位となる。
- 2001年(平成13年)
- 3月28日 - 埼玉高速鉄道線開通。浦和美園駅開業。
- 5月1日 - 大宮市・与野市と合併し、さいたま市の一部となる。
- 10月13日 - 埼玉スタジアム2002こけら落とし。
- 11月20日 - みそのウイングシティの整備が着工。
- 2002年(平成14年)6月 - サッカーワールドカップの開催地となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 -さいたま市が政令指定都市に移行。旧浦和市の区域は大原六丁目・七丁目(大宮区)、上木崎一丁目8番30号および35号(中央区、現・中央区新都心3番地1)を除き桜区、浦和区、南区、緑区となる。
- 2004年(平成16年) - 旧浦和市域の人口が50万人を突破。
- 2015年(平成27年) - 旧浦和市域の人口が55万人を突破。
- ^ うぇぶさいず旧浦和市の歴史 より
- ^ a b c “さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年11月2日閲覧。
- ^ さいたま市ホームページ統計より
- ^ 東京日日新聞 昭和6年8月18日付
- ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。
- ^ 浦和市史通史編Ⅲ
- ^ わがまち浦和
- ^ “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市. 2020年4月27日閲覧。
- ^ 浦和市ホームページより
- ^ [1]
固有名詞の分類
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