浦和市 地理

浦和市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 06:24 UTC 版)

地理

  • 東京特別区と埼玉県の境界から北に約6キロメートル関東平野の中央部南寄りに位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側、すなわち県中南部にあたる入間地方、比企地方などが「西部地域」と呼ばれることが多いため)。
  • 西側の境をなす荒川、東部に芝川見沼代用水、東側の境をなす綾瀬川などの河川が、それぞれ北から南に流れる。
  • 関東平野の中にあり、山岳丘陵は存在しない。全域が台地および低地からなり、海抜20メートルを超える地区はない。主に荒川に近い西部、東西に2本並ぶ見沼代用水の間、綾瀬川に近い東端部に低地が広がるほか、鴻沼川藤右衛門川などの小河川沿いに谷状の地形が見られる。中央部はこのような谷地を除けば、北方から市南部に連なる大宮台地浦和大宮支台上に位置しており、浦和市の源となった浦和宿も、この台地の上に位置していた。主な河川は北から南に流れており、東西に並列している。
  • 東西約15km、南北約7kmという東西に細長い市域であった。これは浦和町・浦和市が東西に連なる諸町村を合併した結果である。中央部西寄りを北側から与野市(現:さいたま市中央区)が突きだしていた。市域は「コウモリが羽を広げたような形」と称されていた。
  • さいたま市の政令指定都市移行に伴い、旧浦和市域は、概ね西部が桜区、中心部・北部が浦和区、南部が南区、東部が緑区となった(大原六丁目・七丁目は大宮区さいたま新都心内の上木崎一丁目8番30号および35号が中央区)。なお、旧浦和市域に位置する4区の人口は合計消滅後に50万人を突破、2005年の人口は504,442人、2010年の人口は527,761人(国勢調査)と増加し、2015年には人口55万人を突破した。直近の推計人口は593,689人
  • 2000年(平成12年)の時点で、概ね見沼代用水西縁以東、荒川周辺に広がる河川敷を除く、市域の6割強が人口集中地区となっていた。
  • 気候についてはさいたま市浦和区の記事を参照のこと。なお、現在のアメダスの観測地点「さいたま」は、旧浦和市の北西端、大久保浄水場内に設置されているが、さいたま市の成立以前は「浦和」の名称がつけられていた。

住宅地として

住宅地としての人気は、関東大震災以後急速に高まる。それに先立つ大正5年初頭の國民新聞の紙上において、東京近郊の理想的な住宅地・別荘地を投票により選定する企画が行われた、浦和町は郊外住宅地部門では9等、別荘地部門では8等に入賞し、良好な郊外住宅地としてすでに認知されていた。具体的な理由も掲載され、東京への近さ、教育環境の充実、下水道整備率の高さなどが挙げられていた。また、鹿島臺(鹿島台、現在の別所沼周辺)の風光明媚さや災害の不安が少ないことも記され、当時はまだ畑も多く宅地開発の余地があった鹿島台が住宅地として注目されていたことが分かる。震災直前には鹿島台に官吏や教員向けの町営住宅を建設しており、また大正11年9月には浦和耕地整理事業が着工し、町としても浦和の住宅地・別荘地の期待や住宅不足に対応するため、実際に宅地としての開発が本格化していた。

そうした矢先の1923年(大正12年)関東大震災が発生し、浦和は東京や横浜から移住する人で一気に3000人以上の人口増加が起こった。当時の人口は1万2000人程度だったので、25%の増加率であった。とくに前述の鹿島台エリアである別所沼周辺には、富裕層や官僚以外にも画家の移住や画家のアトリエが目立ったため、同じような理由で移住が増えた鎌倉鎌倉文士という言葉と対になる浦和画家という言葉が生まれた。昭和初期には40人以上の画家が集住し「さながら絵描き村である」と報道された[4]。その後も現在に至るまで、都心から近い閑静な好立地も一因として住宅地の人気を保ち続けている。

浦和区の世帯所得は2013年時点で年収1000万円以上が20パーセント[5]を超えるなど、高級住宅地が多い世田谷区渋谷区よりも比率が高く、首都圏でも最高水準を記録している[要出典]これは購買力の高い官僚、医師、社長などが多く居住することも大きな理由となっている[要出典]公立高校では全国最多の東京大学合格者を出す年度もあった埼玉県立浦和高等学校が所在するなど、大卒者の多さも所得に影響している[要出典]高級住宅地として称される地域としては岸町常盤高砂仲町、などとその周辺があげられる[要出典]


  1. ^ うぇぶさいず旧浦和市の歴史 より
  2. ^ a b c さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年11月2日閲覧。
  3. ^ さいたま市ホームページ統計より
  4. ^ 東京日日新聞 昭和6年8月18日付
  5. ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。
  6. ^ 浦和市史通史編Ⅲ
  7. ^ わがまち浦和
  8. ^ さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市. 2020年4月27日閲覧。
  9. ^ 浦和市ホームページより
  10. ^ [1]






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