浦和市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 06:24 UTC 版)
人口
1995年に川口市の人口を上回って以来、県内で最大人口を有していた。また、旧市域にほぼ相当する桜区・浦和区・南区・緑区の2023年2月時点での人口の合計は約59.1万人に増えており、鳩ヶ谷市を編入後の川口市の人口も上回るに至っている。
- 1934年(昭和9年)2月11日 - 4万3078人[7](市制施行日)
- 1935年(昭和10年)10月1日 - 4万4328人(大宮町を抜き県内2位に)
- 1940年(昭和15年)10月1日 - 5万9671人
- 1945年(昭和20年) - 9万3696人
- 1947年(昭和22年)10月1日 - 10万6176人
- 1950年(昭和25年)10月1日 - 11万5019人
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 14万3044人
- 1950年(昭和35年)10月1日 - 16万8757人
- 1965年(昭和40年)10月1日 - 22万1337人
- 1970年(昭和45年)10月1日 - 26万9397人
- 1975年(昭和50年)10月1日 - 33万1145人
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 35万8185人
- 1985年(昭和60年)10月1日 - 37万7235人
- 1990年(平成2年)10月1日 - 41万8271(1988年9月に40万人突破)
- 1995年(平成7年)10月1日 - 45万3300人(川口市を抜き県内1位の人口に)
- 2000年(平成12年)10月1日 - 48万4845人
住民基本台帳人口による合併後の旧浦和市域の人口変動(桜区・浦和区・南区・緑区の合計)。すべて4月1日時点(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[8]。
| ||||||||||
- ^ うぇぶさいず旧浦和市の歴史 より
- ^ a b c “さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年11月2日閲覧。
- ^ さいたま市ホームページ統計より
- ^ 東京日日新聞 昭和6年8月18日付
- ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。
- ^ 浦和市史通史編Ⅲ
- ^ わがまち浦和
- ^ “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市. 2020年4月27日閲覧。
- ^ 浦和市ホームページより
- ^ [1]
固有名詞の分類
- 浦和市のページへのリンク