ローマ帝国 ローマ帝国の概要

ローマ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 13:41 UTC 版)

ローマ帝国
IMPERIVM·ROMANVM (ラテン語)
Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων (古代ギリシャ語)

前27年 - 1453年
(国旗) (国章)
国の標語: Senatus Populusque Romanus(ラテン語)
ローマの元老院と市民

  西暦117年当時のローマ帝国の最大版図
  2世紀までに間接的に支配した地域
公用語 ラテン語
ギリシャ語
準公用語629年からは公用語)
首都 ローマ
(前27年-286年)
ニコメディア
(東、286年-330年)
メディオラヌム
(西、286年-330年)
コンスタンティノープル
(330年-395年)
コンスタンティノープル
(東、395年-1453年)
メディオラヌム
(西、395年-401年)
ラヴェンナ
(西、401年-403年、408年-450年、457年-461年、475年-476年)
ローマ
(西、403年-408年、450年-457年、461年-475年)
皇帝
前27年 - 14年 アウグストゥス
98年 - 117年トラヤヌス
307年 - 337年コンスタンティヌス1世
379年 - 395年テオドシウス1世
1449年 - 1453年コンスタンティノス11世パレオロゴス
執政官
前27年 - 前23年アウグストゥス
476年 - 476年バシリスクス
面積
前25年[1][2]2,750,000km²
50年[1]4,200,000km²
117年[1]5,000,000km²
390年[1]4,400,000km²
人口
前25年[3]56,800,000人
変遷
オクタウィアヌスアウグストゥスの尊称を戴く 前27年1月16日
トラヤヌス治世下でローマ帝国が最大版図を実現117年
ディオクレティアヌスが即位、分担統治の開始285年
東西分裂395年
ゲルマン人傭兵オドアケルの反乱により西ローマ皇帝が廃位、東西皇帝位の統一476年
オスマン帝国の攻撃により東ローマ帝国滅亡1453年5月29日
通貨ソリドゥス金貨
アウレウス
デナリウス
セステルティウス
アス
現在 イタリア
フランス
スイス
スペイン
ベルギー
オランダ
ルクセンブルク
モナコ
サンマリノ
マルタ
アンドラ
ポルトガル
リヒテンシュタイン
ドイツ連邦共和国
イングランド
ウェールズ
 オーストリア
 ハンガリー
 ウクライナ
 ルーマニア
 ブルガリア
スロベニア
クロアチア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
セルビア
モンテネグロ
コソボ
アルバニア
ギリシャ
トルコ
キプロス
北キプロス
ジョージア
アルメニア
アルツァフ共和国
アゼルバイジャン
ロシア
イラン
イラク
シリア
レバノン
シリア
クウェート
イスラエル
ヨルダン
パレスチナ
 エジプト
リビア
チュニジア
アルジェリア
モロッコ
先代次代
共和政ローマ
プトレマイオス朝
東ローマ帝国
西ローマ帝国
オスマン帝国
イスラム帝国
東ゴート王国
西ゴート王国
ブルグント王国
ヴァンダル王国
スエビ王国
フランク王国
ブルガリア帝国
ヴェネツィア共和国
コンスタンティヌス朝以降の国章ラバルム(ギリシア語でキリストを意味する言葉の頭文字のΧΡを重ね合わせた組み文字)。
古代ローマ

ローマ時代の政治


統治期間
王政時代
紀元前753年 - 紀元前509年

共和政時代
紀元前508年 - 紀元前27年
帝政時代
紀元前27年 - 西暦476年

古代ローマの政体
政体の歴史
身分
政務官
執政官
臨時職
独裁官
ローマ軍団
インペラトル
名誉称号・特別職
ローマ皇帝
聖職者
最高神祇官
政治制度

各国の政治 · 地図
政治ポータル

1世紀から2世紀頃の最盛期には地中海沿岸全域に加え、ヨーロッパヒスパニアゲルマニアガリアブリタンニアクリミア北アフリカ一帯、西アジアではメソポタミアシリアアルメニアペルシア西部などをはじめとする広大な地域を中心とした大規模な領土皇帝アウグストゥス)が支配していた。カエサル・アウグストゥスの即位から3世紀の軍事的無政府状態まで、それはイタリアを中心的な領土(メトロポール)とし、ローマ市を唯一の首都としたプリンキパトゥスだった(紀元前27年-紀元後286年)。

軍事危機の間に断片化されたが、帝国は強制的に再編成され、その後、西ローマ帝国ミラノと後にラヴェンナに拠点を置く)と東ローマ帝国ニコメディアアンティオキアを中心に、後にコンスタンティノープルに拠点を置く)で支配を分ける複数の皇帝によって支配された。ローマは、オドアケルの蛮族によるラヴェンナの奪取とロムルス・アウグストゥルスの退位に続いて、コンスタンティノープルに帝国記章が送られた西暦476年まで両部分の名目上の首都のままであった。西ローマ帝国がゲルマン人の王たちに支配され、東ローマ帝国がビザンチン帝国へとヘレニズム化したことで、古代ローマの終わりと中世の始まりを告げることになる。


注釈

  1. ^ 僭称者とされる皇帝も含めるとその数は更に増える。
  2. ^ 例えばエドワード・ギボンローマ帝国衰亡史』。
  3. ^ カール大帝の代に分裂した東ローマ帝国の帝権の後継者を自任する神聖ローマ帝国1806年まで存在していたが、帝国解散の宣言は「ドイツ皇帝」の名義でなされている。
  4. ^ 当時のロシアで東ローマ帝国を指す名称

出典

  1. ^ a b c d Rein Taagepera (1979). “Size and Duration of Empires: Growth-Decline Curves, 600 B.C. to 600 A.D.”. Social Science History 3 (3/4): 125. doi:10.2307/1170959. http://links.jstor.org/sici?sici=0145-5532%281979%293%3A3%2F4%3C115%3ASADOEG%3E2.0.CO%3B2-H. 
  2. ^ John D. Durand, Historical Estimates of World Population: An Evaluation, 1977, pp. 253-296.
  3. ^ John D. Durand, Historical Estimates of World Population: An Evaluation, 1977, pp. 253–296.
  4. ^ 吉村2003, pp53-58
  5. ^ 吉村2003, pp55-56
  6. ^ 「ブルータス」カエサル暗殺後敗北者となった理由”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2012年1月20日). 2020年10月7日閲覧。
  7. ^ 三訂版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典. “プトレマイオス朝とは”. コトバンク. 2020年10月8日閲覧。
  8. ^ 三訂版,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典. “アウグストゥスとは”. コトバンク. 2020年10月8日閲覧。
  9. ^ 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ), ブリタニカ国際大百科事典. “パックス・ロマーナとは”. コトバンク. 2020年10月7日閲覧。
  10. ^ アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.493 ISBN 978-4-309-22589-0
  11. ^ 菊池 2002, pp. 32-33.
  12. ^ a b ミシェル・ソ、ジャン=パトリス・ブデ、アニータ・ゲロ=ジャラベール『中世フランスの文化』 桐村泰次訳、諭創社、2016年3月
  13. ^ 吉村2003, p35


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