ヒエラティック ヒエラティックの概要

ヒエラティック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 17:52 UTC 版)

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ヒエラティック
Prisse Papyrusの一部(フランス国立図書館所蔵)
ヒエラティックで書かれている
類型: アブジャド (表語文字の要素も持つ)
言語: エジプト語
時期: 紀元前3000年頃-プトレマイオス朝時代-紀元後3世紀
親の文字体系:
エジプトヒエログリフ
  • ヒエラティック
子の文字体系:

デモティック
  → コプト文字
  → メロエ文字
    → 古ヌビア語英語版

ビブロス文字
姉妹の文字体系: 筆記体ヒエログリフ英語版
Unicode範囲: 割り当てなし
ISO 15924 コード: Egyh
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。

概要

ヒエラティックはヒエログリフの体系と並行して発達し[1]、両者には密接な関係がある。ヒエラティックは主にの刷毛を用いてインクで書かれ、書記官 (scribeたちは時間のかかるヒエログリフを使わずに素早く書くことができた。「ヒエラティック」(hieratic)という言葉はギリシア語の語句γράμματα ἱερατικάgrammata hieratika; 「神官の筆記」)に由来している。この語句はアレクサンドリアのクレメンスが紀元2世紀に初めて用いたもので[2]、この時期にはヒエラティックは宗教的なテクストのみに使用されていたためそう呼んだ。紀元前660年以降、世俗的な書き物ではデモティックが使われるようになっていたと見られている。

発達

ヒエラティックはエジプト原始王朝時代英語版に初めて用いられ、より正式なヒエログリフと並行して発達した。ヒエラティックをヒエログリフの「派生物」と見るのは誤りである。エジプトの最初期のテクストはインクと筆により生み出されたものであり、その記号がヒエログリフの派生物であることを示す兆候はない。石に刻まれた真に記念碑的なヒエログリフはエジプト第1王朝になるまで出現せず、この時期には既にヒエラティックは書記官の実務として確立していた。従って、これら2つの筆記法は1つの線上にあるのではなく、関連しあい、並行して発達したものなのである[1]

ヒエラティックは王朝時代全体を通じて使われ、グレコ・ローマン時代になっても使用され続けた。紀元前660年以降、デモティック(そして後にはギリシア文字)が世俗的な書き物の大半でヒエラティックに取って代わったが、ヒエラティックはさらに幾世紀もの間、少なくとも紀元3世紀までは聖職者階級によって使われていた。

ヒエログリフとヒエラティックの比較

用途と素材

大宰相英語版カイ宛ての4通の公式な手紙のうち1通を ヒエラティックで石灰岩オストラコンに書写したもの

その長い歴史の大半において、ヒエラティックは行政文書、計算書、法的文書、書簡などのみならず、数学、医学、文学、宗教などのテキストを書くのにも用いられた。デモティック(後にはギリシア文字)が行政用の主要な書体となったグレコ・ローマン時代には、ヒエラティックの使用は主に宗教的なテクストのみに限られるようになった。ヒエラティックは日常生活で用いられる書体であったため、エジプトの歴史を通じ概してヒエラティックはヒエログリフより遥かに重要な位置を占めた。ヒエラティックは生徒に最初に教えられる書記体系でもあり、ヒエログリフの知識はさらなる訓練を受けた少数者のみのものであった[3]。事実、元のヒエラティックのテクストを読み間違えたために生じたヒエログリフのテクストの誤りが発見されるということがしばしばあった。

ほとんどの場合、ヒエラティックは葦の刷毛[注釈 1] を用いてパピルス、木材、もしくは石か陶器の破片(オストラコン)にインクで書かれた。デイル・エル・メディーナ英語版の遺跡で数千個の石灰岩のオストラコンが発見され、エジプトの普通の労働者たちの生活の詳細な様子が明らかになった。パピルス、石、陶片、木材の他に、革製の巻物に書かれたヒエラティックのテクストも存在したが、ほとんど残存していない。また、布、特にミイラ化に用いられた亜麻布に書かれたヒエラティックのテクストも存在する。石に彫られたヒエラティックのテクストもあり、「刻まれたヒエラティック」(lapidary hieratic)という変種として知られている。これらは第22王朝石碑では特に一般的である。

第6王朝後期には、ヒエラティックは楔形文字のようにしてスタイラスを用いて粘土板に刻まれることもあった。およそ500ほどのそうした粘土板がアイン・アシル(バラット)の地方の統治者[訳語疑問点]の宮殿から[4]、またアイン・アル=ガザリン[訳語疑問点]の遺跡からも1つだけ発見されており、両方ともダクラ・オアシス英語版に位置する[5]。粘土板が作られた時代には、ダクラはパピルスの生産地から遠かったのである[6]。これらの粘土板には目録、名前のリスト、計算書、および50通ほどの手紙が書かれていた。これらの手紙のうち多くは宮殿内や地方の集落内でやり取りされたものであったが、オアシスの他の村から統治者へと送られたものもあった。




注釈

  1. ^ ローマの属州時代には葦のペンcalami)もまた用いられた。

出典

  1. ^ a b Goedicke 1988:vii–viii.
  2. ^ Goedicke 1988:vii; Wente 2001:2006. The reference is made in Clement's Stromata 5:4.
  3. ^ Baines 1983:583.
  4. ^ Soukiassian, Wuttman, Pantalacci 2002.
  5. ^ Posener-Kriéger 1992; Pantalacci 1998.
  6. ^ Parkinson and Quirke 1995:20.
  7. ^ Gardiner 1929.
  8. ^ Wente 2001:210. See also Malinine [1974].
  9. ^ Hoch 1990.
  10. ^ Aharoni 1966; Goldwasser 1991.
  11. ^ Gosline 1997.
  12. ^ Gosline 1998.
  13. ^ Gosline 2001.
  14. ^ Möller 1909-1936.


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