祭政一致
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祭政一致(さいせいいっち、英: saisei itchi (the unity of state sacrifice and governance)など)とは、祭祀と政治とが一元化、一体化していること。祭政一致の祭は、「まつり」であり宗教を意味する。政は「まつりごと」、政治を意味する[1]。
祭政一致の体制の下では、政治的指導者が同時に宗教的指導者を兼ねている。その思想並びに政治形態はアニミズム宗教で統治される古代社会に多い[独自研究?][2][3]、日本でも巫の告げる神託が政治的な権威をもったヤマト王権を始めとする古代の神権政治、琉球王国の統治体制に遡ることができる[4]。
神道はアニミズム的宗教であり、その特徴の一つに祭政一致がある[5]。日本語において神道には必ずしも限定されていないものの、祭政一致は英語ではSaisei itchiとしてそのまま神道の用語として用いられており[5][6][7][8]、柳川啓一は祭政一致を職業聖職者が直接統治を行う神権政治とは異なるものとして定義した[9]。祭政一致は主として古代天皇制の文脈において言及されてきた[10]。
日本での祭政一致
慶応4年3月13日、明治新政府は「太政官布達」で王政復古・祭政一致し神祇官を再興する、と述べる[11][12]。
明治元年十月十七日詔
崇神社、重祭祀、皇國之大典政教基本。然中世以降、政道漸率、祀典不舉、遂馴緻綱紀不振、朕慨之。方今更始之秋、新置東京、親臨視政、將先興祀典、張綱紀、以復祭政一致之道也。
明治二年十二月詔
朕恭惟大祖創業、崇敬神明、愛撫蒼生、祭政一致、所由來遠矣。朕以寡弱夙承聖緒、日夜怵慯、懼天職之或虧、乃祗鎭祭天神地祇八神曁列皇神靈於神祇官、以申孝敬、庶幾使億兆有所矜式。
明治三年1月3日、『宣布大教詔』(大教宣布)でも使われている[13][14]。
朕恭惟天神天祖、立極垂統、列皇相承、継之述之。祭政一致、億兆同心。治教明於上、風俗美於下。而中世以降、時有污隆、道有顕晦、治教之不洽也久矣。今也、天運循環、百度維新、宜明治教以宣揚惟神大道也。因新命宣教使以布教天下。汝群臣眾庶、其體斯旨。
出典
- ^ 『世界大百科事典』に山田武の署名記事があるほか,無記名ではあるが『マイペディア』などの百科事典,『日本国語大辞典』『広辞苑』などの国語辞典,また新聞報道などにも細部の表現は違うが使われている。
- ^ 小学館 2021b, p. 「原始宗教」.
- ^ 小学館 2021c, p. 「原始宗教」.
- ^ 山上 1989, pp. 84–100.
- ^ a b Nigosian, S. A. (January 1, 1994), World Faiths, Bedford/st Martins; 2nd edition, pp. 217-218, ISBN 978-0312084141
- ^ “saisei-itchi”. Encyclopedia Britannica. 2022年1月10日閲覧。
- ^ Public Shrine Forests? Shinto, Immanence, and Discursive Secularization, Aike P. Rots, Japan Review 30 Special Issue (2017): p.187
- ^ Saisei itchiは"the unity of religion and government"か"the unity of ritual and government"と直訳され神道固有の概念として解説されている
- ^ Between Unity and Separation: Religion and Politics in Japan, 1965-1977 Yanagawa Keiichi and David Reid, Japanese Journal of Religious Studies 6/4 December 1979. p.502
- ^ 平凡社 2021d, p. 「祭政一致」.
- ^ 「此度王政復古,神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御復被遊候ニ付テハ,先第一神祇官御再興御造立ノ上……(後略)」安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』425ページ
- ^ 明治元年太政官布告第153 『法令全書. 慶応3年』 p.63、内閣官報局(国立国会図書館)
- ^ 「朕恭惟 天神 天祖,立極垂統;列皇相承,継之述之。祭政一致,億兆同心。治教明于上,風俗美于下。而中世以降,時有汚隆,道有顕晦,治教之不洽也久矣。今也,天運循環,百度維新,宜明治教,以宣揚惟神大道也。因新命宣教使,以布教天下。汝群臣衆庶,其体斯旨。」安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』431ページ
- ^ 『歴代の詔勅』 p.66 河野省三 内閣印刷局、1940年(国立国会図書館)
関連項目
参考文献
- 世界大百科事典&マイペディア 第2版[CD-ROM],ISBN 978-4816981838
- 広辞苑 第六版 DVD-ROM版,ISBN 978-4001301618
- 再演殿歴史資料集『大鳳』
- 安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』岩波書店,1988,ISBN 978-4002300054
祭政一致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 17:38 UTC 版)
まつりごとは「まつりの式次第を主催する」の意であり、その祭りに従うことが「まつろふ」である。従って、物部氏が、元来軍事、政治を担当したと考えられ、「貴人にマナをつける」職掌だったとする谷川健一説や、折口信夫の『水の女』で展開する「ふぢはら」は淵原であり、中臣氏が、元「貴人を洗い清め、特殊な方法で絆を締めて尊いものにした」シャーマン的な存在であったとする説も成立しうる。また古くは卑弥呼なども祈祷師であり、その祈祷や占いから「国の行く末」を決めていたといわれる。神社神道の神主などの神職は古くから政(まつりごと)の執政をし、平安時代には道教の陰陽五行思想を取り込むことによって陰陽師という組織とその政治における官僚としての役職を得た。そして、占いや祈祷により指針を定め、国政を司った。この流れは戦国時代以降は潜むが、公家の間では政として、あるいは神社神道として残っていった。 地域振興の中心は、古くは寺社であり、その中心にある神社が興行や縁日や神事を行い、「寺社普請」だけでなく地域の社会基盤整備としての普請にもなった。そして、民間でも自治としての政が江戸時代から一層顕著に認められ、祭りとして神や御霊や自然を祀り、その社会的行為は「七夕祭り」や「恵比寿講」として現在にも行われ、神社神道の儀式とは離れた民衆の神事として定着し、昔と同様に普請としての地域振興を担っている。
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