マタハリ
「マタハリ」とは、第一次世界大戦中にフランス社交界で活躍し、スパイの容疑で銃殺刑に処せられた踊り子の名である。「マタハリ」は芸名。後世「女スパイ」の代名詞的な呼び名として扱われるようになった。
神話や伝説あるいは歴史上の人物を「召使(サーヴァント)」として登場させるゲーム「FGO(Fate/Grand Order)」にも「マタハリ」が登場する。
「マタハリ」の基本的な意味
「マタハリ」とは、第一次世界大戦(1914〜1918)以前にインド舞踏で活躍したダンサー、マルガレータ・ゲールトライダ・ゼレの芸名である。「マタハリ」とは本来、ムラユ語(マレー語、またはインドネシア語)で太陽・日の眼を表す言葉であり、ダンサーであったマルガレータは観客に受けるよう東洋的な芸名を名乗るようになった。マルガレータは美人であったその容姿を活かして、高級娼婦としての仕事も行っていた。多数のフランス軍将校やドイツ軍将校とベッドを共にし、スパイとして活動していたとされ、1917年2月にフランスで二重スパイとして起訴され、第一次世界大戦中の1917年7月24日死刑判決が下された。同年の10月15日、最後はランザール刑務所にて銃殺刑に処された。そのため「マタハリ」という言葉は、現在では女スパイの代名詞として用いられることが多い。「マタハリ」ことマルガレータ・ゲールトライダ・ゼレはオランダのフリースラント州、レーワルデンにて四人兄弟の長女として生まれた。家庭は裕福で、唯一の娘だったこともあり、父親に可愛がられ不自由のない幼少期を送ったが、父親の投資失敗により14歳の時に親戚の元に引き取られる。19歳の時にオランダの軍将校ルドルフ・ジョン・マクラウド大尉と結婚し二人の子孫を残したが、夫婦仲の悪化から7年後の1902年に離婚する。その後、職を求めフランスのパリに移住し、友人のパーティで披露したダンスが好評を博し、ダンサーとして活動することになる。ダンサーとしてのマルガレータの名は欧州中に広がり、イタリアのミラノ・スカラ座で公演を行うような人気ダンサーとなった。「マタハリ」の芸名はその頃から名乗るようになったと言われている。
マルガレータの実際のスパイとしての活動はあまり明らかにされていない。当時、戦況的に不利であったフランスは、戦争による甚大な被害の責任をマルガレータを処刑することにより逃れた、という説やフランス陸軍内で起こった暴動から市民の目をそらすために処刑が行われたとされる説もあり、実際に「マタハリ」が女スパイとして活動していたかは不明である。
「マタハリ(ミュージカル)」とは
マタハリ(ミュージカル)とは、第一次世界大戦中のフランスにおいて多くの人を虜にしたダンサー、「マタ・ハリ」の生涯を描いたミュージカル。 2018年に日本初上演が行われ好評を博した。再演は2021年6月15日から6月27日にかけて行われた。主演は柚希礼音(再演では愛希れいかとのダブルキャスト)。舞台は1917年のヨーロッパ。オリエンタルな魅力を放ち市民の心を捉えて離さない「マタハリ」が、フランス諜報局のラドゥー大佐にスパイになるよう迫られ、第一次世界大戦の波にもまれながらも、戦闘パイロットのアルマンと恋に落ちていくというあらすじである。dvdは東宝モールにて購入が可能。「マタハリ(ゲームの登場人物)」とは
スマホ向けゲームアプリ「FGO(Fate/Grand Order)」に登場する「マタハリ」は、史実のマタ・ハリをモデルとするキャラクターである。踊り子でアサシン(暗殺者)という設定。「東洋のマタハリ」とは
「東洋のマタハリ」は、川島芳子(本名は愛新覺羅顯玗)の二つ名である。川島芳子は清の皇族、愛新覚羅 善耆(あいしんかくらぜんき)の娘として1907年に北京の粛親王府に生まれた。芳子は復辟運動のために日本に養子として送り出され、その時に川島芳子という名がつけられた。「東洋のマタハリ」と呼ばれる川島芳子と「マタハリ」の共通点は多数挙げられる。芳子は17歳でピストル自殺未遂事件を起こした後、髪の毛を短く切り男装をして、女を捨てるという文書をしたためた。当時の芳子の様子はマスコミに多く取り上げられ「男装の麗人」と呼ばれるようになり、その容姿の美しさは日本で社会現象を起こした。
1927年に結婚したが、夫の親族に馴染めず3年ほどで離婚し、その後、政治活動に大きく関わるようになる。芳子は国民党行政院長だった孫科(孫文の長男)とダンスホールで接触し、国民党内部の情報を入手し、それにより孫科は失脚したと言われている。1945年の8月、日本の敗戦後、芳子は北平で中国国民党軍に国賊として逮捕された。最後は銃殺刑だったことも「マタハリ」と同じである。しかし、芳子が実際に諜報活動に関わっていたかは不明である。
マタ‐ハリ【Mata Hari】
Mata Hari
MATA-HARI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:22 UTC 版)
- 1 MATA-HARIとは
- 2 MATA-HARIの概要
マタ・ハリ
(matahari から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 21:13 UTC 版)
マタ・ハリ(Mata Hari)ことマルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ(Margaretha Geertruida Zelle、1876年8月7日 - 1917年10月15日)は、フランスのパリを中心に活躍したオランダのダンサー、ストリッパー。
- ^ “Mata Hari”. Encyclopædia Britannica 2007年8月21日閲覧. "The daughter of a prosperous hatter, she attended a teachers' college in Leiden. In 1895 she married an officer of Scottish origin, Captain Campbell MacLeod, in the Dutch colonial army, and from 1897 to 1902 they lived in Java and Sumatra. The couple returned to Europe but later separated, and she began to dance professionally in Paris in 1905 under the name of Lady MacLeod. She soon called herself Mata Hari, said to be a Malay expression for the sun (literally, “eye of the day”). Tall, extremely attractive, superficially acquainted with East Indian dances, and willing to appear virtually nude in public, she was an instant success in Paris and other large cities."
- ^ 時事ドットコム:美人スパイの素顔 写真特集 時事通信
- ^ www.praamsma.org - Mata Hari
- ^ a b c Article of the About.com Internet site. [1]
- ^ a b c Out of World of Biography Internet site. [2]
- ^ a b Mata Hari
- ^ 美人女スパイ、マタ・ハリの生家焼失 オランダ - AFPBB News、2013年10月21日
- matahariのページへのリンク