U-FILE CAMP設立後
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「田村潔司」の記事における「U-FILE CAMP設立後」の解説
田村はリングス在籍時にも、前田道場にはあまり顔を出さずサンボの道場に出稽古に赴いたり、設備の整ったジムに通うなど独自のトレーニングを行っていた。そして2000年、総合格闘技ジム・U-FILE CAMPを設立。自ら代表をつとめ、UWFインター時代の同僚・大江慎とともに一般会員への格闘技指導も始める。 2002年2月24日、PRIDE初参戦となったPRIDE.19のミドル級(-93kg)タイトルマッチでヴァンダレイ・シウバと対戦し、パウンドで削られた末に2RKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2002年6月23日、PRIDE.21でボブ・サップと対戦するが、1R11秒でTKO負け。試合後、「結果に対して言い訳するつもりはないですけど、開き直って言わせて貰うと、体重差があり過ぎて、どうにもならなかったです。前回は完全燃焼できましたけど、今回は今から試合できちゃう位、体力が残ってるんで・・・。」とコメントした。 2002年9月7日、DEEP初参戦となったDEEP 6th IMPACTで美濃輪育久と対戦し、判定決着も明確な実力差で圧倒して勝利する。試合後のマイクアピールでは、「美濃輪選手のおかげで今日はいい試合ができました」と健闘を讃えた。 2002年11月24日、PRIDE.23で師匠高田延彦の引退試合の相手を務め、2Rに右フックでKO勝ち。試合が終わった後に高田からは「お前は男だ!」という言葉をかけてもらった。試合後のマイクアピールでは「高田さん、ありがとうございました。そして色々と、暖かい目で見ていただいて、色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした。今、正直、何を言っていいか分かりませんが、今日引退される実感がないんですが、最後に22年間、夢と感動を与えていただいて、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。」とコメントした。 2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦のミドル級グランプリ1回戦で吉田秀彦と対戦。袖車絞めで一本負けを喫した。この試合では、一度だけ入場曲を変えて入場した。 2003年12月31日、PRIDE SPECIAL 男祭り 2003でロニー・セフォーと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。開催前には、桜庭との対戦オファーがあるも、これを準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。 2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDで吉田道場の瀧本誠に判定勝利。柔道金メダリストへの勝利により、UWF系の面目を保った。 2005年11月23日には、DSEの協力のもと、UWF系ファイトスタイルのプロレス興行U-STYLE Axis(有明コロシアム)を開催、ジョシュ・バーネットに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちしたが、動員の面では苦戦し、興行的には失敗に終わった。 2006年2月26日、PRIDE.31でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとリングス時代に敗れて以来6年ぶりの再戦をしたが、リベンジはならなかった。試合後、「言葉にならないぐらい悔しい」、「ノゲイラとやりたい。ノゲイラが心の中に染みついた。僕に無差別級グランプリに出る権利は無いと思うけど、純粋にノゲイラを追いかけたい。」とコメントした。同年12月31日、PRIDE 男祭り 2006においてミノワマンと再戦しKO勝ち。試合後は2003年8月に敗れた吉田秀彦との対戦を希望した。 2007年4月8日、榊原体制最後の興行となったPRIDE.34のリング上にスーツ姿で登場。覆面姿で登場した桜庭との対戦を示唆した。 2007年6月14日、タレントの桜井悠美子と婚約したことを発表。同年7月7日に入籍し、7月28日に結婚披露宴が行われた。 2007年6月29日、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)旗揚げ戦「闘今BOM-BA-YE」へ緊急参戦、U-STYLEのタッグマッチを行う(参戦発表はわずか4日前の6月25日だった)。IGF社長のアントニオ猪木と確執のある前田日明との繋がりが深い田村の参戦は大きなサプライズとなった。 2007年7月16日、HERO'Sに初参戦し、金泰泳と対戦。本戦2R、延長1Rを戦い抜くが、0-3の判定負けを喫した。試合後、「ベストの体調じゃなかったけど、出ると決めた以上はベスト。自分の力の無さを感じた。」、「次のHERO'S?階段を踏み外したのだから上がる資格は無い」とコメントした。9月8日には、IGF「GENOME」にてモンターニャ・シウバとU-STYLEルールで対戦。パンチ、キックでダウンを奪われるなど劣勢であったが、7分49秒フロントスリーパーホールドで勝利。 2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で所英男と対戦し、ストレートアームバーで一本勝ち。試合後のリング上で、勝利者賞のトロフィーをプレゼンターであった前田日明から投げつけられるトラブルがあった。 2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦で船木誠勝と対戦し、パウンドでTKO勝ち。試合後、「煽りVTRで昔を思い出した。1分弱でお互いの20年をぶつけ合った感じだった。複雑な気持ちだったけど、今はスッキリしている」と語った。後日、右手中指骨骨折の診断により2回戦を欠場した。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のメインイベントで桜庭和志と12年半ぶりに対戦し、判定勝ちを収めた。試合後、「お客さん向けの試合ができなかった。個人的には終わったかなと。」とコメントした。また、この試合中に右手を骨折した。 2019年10月25日、プロレスリング・ノアの親会社(当時)・リデットエンターテインメントの社外取締役兼エグゼクティブディレクターに就任することが発表された。その後2020年3月1日付で社外取締役を退任し、顧問に就任。 2020年8月20日、リデットエンターテインメントが新たに発足した新団体「GLEAT」のエグゼクティブディレクターに就任した。
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